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Roundtable with Gen Z 第1回ワークショップの後編のサムネイル画像 Roundtable with Gen Z 第1回ワークショップの後編のサムネイル画像

Report

若者と考える
「言葉」
の今とは。

Vol.1
「言葉」の今 〈後編〉
前編の議論はこちら

前編では、浸透したオンラインでの
コミュニケーションも背景に、
複数のコミュニティを自由に行き来し、
そのそれぞれに「共通言語」が重要な役割を果たしている
という若者たちの暮らしが見えてきました。
そんな複数のコミュニティのなかで、
「私」という感覚やアイデンティティは
どのように感じられ、
そこに言葉はどう関わっているのか?
違和感や葛藤を感じることは?
そんな問いを軸に後半の議論は進んでいきます。

3. 言葉とアイデンティティー

複数の人格を生きる

『LINEの文面と会話のギャップが昔は気になったんですよ。打ち言葉と話し言葉で人格の統一性があってしかるべきだと思っていたところがあって。でもコロナ禍で対面が減って、テキストメッセージの割合が増えていくと、ある人の中にリアル(対面)とバーチャル(SNS)の2つの側面があって、そこは別に整合性はいらないなって。独立してるんだろうなって最近は思っています。』

ジュンヤ

NATURAL SOCIETY LAB若者研究所研究員ジュンヤの顔画像(イラスト)

『私は、環境や相手によって自分の人格が変化してもいいんじゃないかなって思ってるんですけど、それを気持ちいいと思う人と気持ち悪いと思う人はいる気がします。今は、学生だからなのか、こういう時代だからなのかは分からないんですけど、人と関わるラインって、自分の中である程度決められちゃうところがあるから。ある意味自分はその時々の居心地のいいところにしかいないのかなって思っています。』

リコ

NATURAL SOCIETY LAB若者研究所研究員リコの顔画像(イラスト)

SNSを土台とした言葉の変化が、相手や媒体に応じて人格を使い分けるような感覚や生き方を強めているようにも感じられました。今や2個目、3個目のアカウントは「裏垢」ではなく「別垢」や「専用垢」といった呼び方が一般的になりました。そこには、裏と表という分かりやすい話とも違う、複雑な、あるいはもっと軽やかな人格の分散と移動があるようにも思えます。
作家の平野啓一郎氏は、人間は一貫した一つの人格ではなく、複数の異なる人格(分人)を生きているという「分人」の概念を提唱しました。媒体や状況に応じて複数の人格(分人)があり、それをなめらかに移動するという感覚は、変化が激しさを増す現代、デジタルネイティブな若者たちの一部ではかなり定着してきているように思えます。

相手や媒体に応じて人格を使い分ける若者を模したイラスト 相手や媒体に応じて人格を使い分ける若者を模したイラスト

さらに、今回の議論では、若者達たちの中で、複数のコミュニティーごとに異なる人格(分人)があるだけではなく、自分の中の「状態」を分人的に捉えているのではないかという声がありました。

「状態いいね」って言葉が私のまわりでは流行っています。 「状態いい」は他者との比較なしにその人の中でのいい状態を褒めること。いいとされる基準が増えたことによって、他者と比べる必要が弱くなって、自分の中のいいを探すように移っていったのかなと思いました。』

リリカ

NATURAL SOCIETY LAB若者研究所研究員リリカの顔画像(イラスト)

「盛れてる」って言葉がめちゃくちゃ浸食してきてるなと思いました。自分が中高生の時は、アプリとかプリクラで加工した時に「盛れてる」って言葉を使っていたと思うんですけど、最近はなにもしてない時でも友達が「今日顔盛れてるわ」とか言ってるんです。 ちょっと前までは、アプリやプリクラの中の現実の自分とは切り離されたイメージに対して盛れるって言ってたと思うんですけど、今はそれに身体的な感覚が伴っていて、だからリアルでも盛れるって言えちゃうのかなって。「リアルとバーチャルの境界線がすごく曖昧になっていると思いました。』

カズキ

NATURAL SOCIETY LAB若者研究所研究員カズキの顔画像(イラスト)

『「盛れてる」って言ってる瞬間は自己肯定感が高まってると思うんです。すぐにさめちゃうものだけど。「盛れてる」って言葉は、瞬間的に、ちょっと違う空間に行ける感覚、自分が目指しているものにちょっと近づいた感覚を味わえる言葉なのかなって。』

ミヅキ

NATURAL SOCIETY LAB若者研究所研究員ミヅキの顔画像(イラスト)

若者たちは自分の中のいい状態と悪い状態や理想と現実を分人的に解釈をすることで、一番心地のいい自分の状態を調整しているのかもしれません。

カテゴライズされることへの安心感と違和感

『今、LGBTQという言葉が広がって、認知されてると思うんですけど、何かにカテゴライズしないと説明出来ないってのっておかしいなと思っていて。枠に当てはめることへの違和感というか。だって人を好きになるのは、男だからとか女だからとかじゃなくて、その人だから好きなわけじゃないですか。あくまで、そういう言葉は自分を認識したり、表現したりするツールのひとつでしかないと思っています』

ミヅキ

NATURAL SOCIETY LAB若者研究所研究員ミヅキの顔画像(イラスト)

『カテゴライズしなくても自己表現ができたらいいなと思っていて。LGBTQとか当てはめなくても、自分は自分みたいな。男とか女とかレズとかゲイとか関係なく、なんでもいいじゃん、誰を好きになってもいいじゃん。言葉という枠に当てはめないと自分を表現できない社会ってなんなんだろうって。でも、 多様性が認められている時代だからこそ、自分が分からなくなっているところもあって、似た人を探して、自分はこうなのかもしれないって思っているところもあるのかな。』

ワカバ

NATURAL SOCIETY LAB若者研究所研究員ワカバの顔画像(イラスト)

多様なアイデンティティーを持って複数のコミュニティーを生きる若者たちは、自分をどこかにカテゴライズしたいという気持ちと、勝手にカテゴライズされたくないという気持ちが混在しているようでした。SNSでは、自分自身が何者であるかの説明を求められる場面が多いため、アイデンティティーやキャラクターを表現する言葉は便利で安心感を与えてくれる反面、一方的なカテゴライズやラベリングに個人が埋没してしまうことには違和感を覚える人も少なくないようです。

道を歩く若者の後ろ姿の写真 道を歩く若者の後ろ姿の写真

『「あいつらフェミニストだよね」みたいな言い方にはイヤな気持ちがします。個々人によって違うのに、そういうラベルを貼って回収しようとするところに暴力性があるなって』 『LGBTQやSDGsは乱用されてるというか、大人たちが自らの利権とか、社会の風潮をつくるためにやっていると感じたら、なんか上から言われてるみたいな気がして、権力性を感じるんですよね。ラベリングのイヤな側面は、理解の均質化というか、言葉で人を片付けているような気がします』

ヨウタ

NATURAL SOCIETY LAB若者研究所研究員ヨウタの顔画像(イラスト)

カテゴライズやラベリングをする言葉は、社会や他者との接点を持つきっかけになるものであると同時に、他者を一方的にカテゴリーやラベルの枠の中で処理して、その人個人を理解することを遠ざけてしまう危険性があると言えそうです。

こうした一見、多様性を認めているようで相互理解を放棄しているように感じられる場面で使われている言葉として、「クセがスゴい」が挙げられていました。

『「クセがスゴい」みたいな、お笑いとかYoutubeの言葉やノリがなんとなく生活の中に浸透してるなって。飲み会とかでも、誰かが言ったことに対して、なんかもう思考停止みたいにすぐ「クセがスゴい」って。それで終わらせるというか、そこだけでうまく片付けるみたいな。感覚のズレ、ちょっと普通とは違ったことを言ってる人がいた時に、場をしらけさせないで笑いに変えるためによく使われてるんですけど、「クセがすごい」という流行語によって、その人それぞれの違いや個性が見えにくくなっている、スルーされて注目されないということがあるのかなと思いました』

ジュンヤ

NATURAL SOCIETY LAB若者研究所研究員ジュンヤの顔画像(イラスト)

お笑い芸人から広がった流行語「クセがスゴい」は、個人の持つ違いや個性を基本的に否定しない、ポジティブな響きをもった言葉として使われていますが、その場を盛り上げてコミュニケーションをなめらかにする、ある意味「軽く」「速い」言葉とも言えます。その「クセ」がどのようなもので、どんな背景や想いから生まれているものなのか?そこに深く入っていくことなく流してしまうことで、見過ごされてしまうものもあるのかもしれません。

断定する言葉、
ゆだねる言葉

『何かの主張をする際に、「詳しくないんですけど~」とか「断言は出来ないですけど~」 みたいな前置きをすることが増えている気がします。twitterで何かいうとすぐに専門家ぶった人から批判が飛んでくるみたいな状況があって。断定的な言葉を使い辛くなっている。』

ヨウタ

NATURAL SOCIETY LAB若者研究所研究員ヨウタの顔画像(イラスト)

『世界ってすごく複雑じゃないですか。性別一つとってもLGBTQがあって、男女じゃ定義出来ないみたいな。その複雑性って大事な一方で、情報を速く処理しないといけないみたいな状況があって、複雑性に耐えられなくなった時に、バランスを崩してしまって、分かりやすい大きな物語に騙されちゃうのが陰謀論なのかなって。複雑性を大事にしたいという気持ちと断定されることへの欲求みたいなのが同時に存在していて、難しいなって。』

カズキ

NATURAL SOCIETY LAB若者研究所研究員カズキの顔画像(イラスト)
ベンチで会話をする若者たちの後ろ姿の写真 ベンチで会話をする若者たちの後ろ姿の写真

価値観の多様化や世界の複雑化が進む中、断定する言葉が使い辛くなっている一方で、素早く情報を処理することが求められる現代では、心のどこかで「断定されたい」と思っている人もいる、そんな人の弱みに付け込むことで極端な断定をする陰謀論などが流行るのではないか?という意見は興味深いものでした。

責任のある発信が求められている企業の発信やニュース等は曖昧な表現や複数の視点を出して相対化するよりも、立場を示して断定して欲しいという声があがる一方で、意味深な名前のついた香水や化粧品、YoutubeやSNSを巻き込んで展開するドラマ等の受け手に解釈をゆだねる、余白を活かしたコミュニケーションを展開するものに好感を抱くこともあるという話もありました。

発信される内容や受け手の状況によって、断定する言葉やゆだねる言葉が、心地良いと思われるのか、不快に思われるかは変動すると考えられそうです。

言葉を使うことで
新しい自己を獲得する

『例えば、ゼミのディスカッションモードの時の自分と、友達とわいわいバカなことをしてる自分は、性格とか表情とか、声のトーンとか言葉遣いも違っていて。私はよく、コントロール出来る多重人格って言ってます。』

ミヅキ

NATURAL SOCIETY LAB若者研究所研究員ミヅキの顔画像(イラスト)

『複数のコミュニティーに所属することが出来て、バックグラウンドが多様であるということは、(人格を)主体的に選択をすることが出来るということなんだと思います。その時、言葉を使い分けることによって、主体的にそのコミュニティに入ることが出来る。それによって獲得した新しい自己への安心感が得られる。言葉にはそのような力があると思います。』

ヨウタ

NATURAL SOCIETY LAB若者研究所研究員ヨウタの顔画像(イラスト)

多様なアイデンティティーを生きる若者たちにとって、その人格を自分自身がコントロール出来ていることが何より重要なのかもしれません。まわりから押し付けられた人格ではなくて、自ら主体的に選択した人格であること、複数の人格を自由自在に使い分けることが出来ること。これらが実現した状態はひとつの理想像と言えるのかもしれません。そして、自ら新しいアイデンティティーを獲得するための手段として、言葉には大きな可能性があると言えそうです。

『社会に出るためにはカテゴライズされた言葉を持って出ないといけない。そして、社会は新しく生まれた言葉を枠にはめてくる。そうじゃないところの隙間にあるものが若者の言葉なのかなって思います。』

ヨウタ

NATURAL SOCIETY LAB若者研究所研究員ヨウタの顔画像(イラスト)

未来を生きる主役である10人の大学生とともに、
「これからの人間らしさ」を考える鍵となるキーワードについて
語り合うRoundtable with Gen Z Vol.1「言葉」の今
そこから見えてきたのは、「軽く」「速い」言葉を駆使して、
仲間たちと豊かなコミュニケーションを楽しみながら、
言葉を起点に様々なコミュニティーにアクセスして、
複数の人格をなめらかに生きる若者の姿でした。
一方でそうした環境だからこそ、立ち止まって考えるべきこと、
オンラインコミュニケーションの限界や、カテゴライズやラベリングを
する言葉の暴力性、「軽く」「速い」言葉からこぼれ落ちてしまうものなども
見えてきました。次回、第2回では、今回の議論を受けて、
若者たちが望む未来の言葉について考えます。

Let’s Discuss the Humanity みんなで未来の人間らしさを議論しよう

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Roundtable
with Gen Z
未来を生きる主役である若者たちとともに、
「これからの人間らしさ」を考える鍵となるキーワードについて語り合う

KEYWORD

Self-as-We

Self-as-Weをイラストで表した図

「わたし」も「わたし以外」も含まれるつながりや関係性全体を指す「われわれ」こそが自己である、というNATURAL SOCIETY LABにとって大切な概念の1つ
詳しくはこちら

IOWN

IOWN構想とは

NTTが2030年頃の実用化に向けて推進している、光を中心とした革新的技術を活用した次世代コミュニケーション基盤の構想
詳しくはこちら

Self-as-We

Self-as-Weをイラストで表した図

「わたし」も「わたし以外」も含まれるつながりや関係性全体を指す「われわれ」こそが自己である、というNATURAL SOCIETY LABにとって大切な概念の1つ
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「わたし」も「わたし以外」も含まれるつながりや関係性全体を指す「われわれ」こそが自己である、
というNATURAL SOCIETY LABにとって大切な概念の1つ
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IOWN

IOWN構想とは

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Introduction/ 鍵となる概念 ”Self-as-We”

Self-as-We
とは何か

Self-as-Weという言葉は、あまり聞き慣れないかもしれませんが、NATURAL SOCIETY LABとこのディスカッションにとってとても大切な概念ですので、はじめにかんたんにご説明させていただきます。Self-as-We、日本語では
「われわれとしての自己」と表現します。

一般的に、自己とは、個人(Individual)、すなわちそれ以上細分化できない存在としての「私」のことを指すというのが従来の認識ではないでしょうか。
ところが、Self-as-Weの自己観は、それとは異なる考え方をします。
「わたし」も「わたし以外」も含まれるつながりや関係性全体を指す「われわれ」こそが自己である、というのがSelf-as-Weの自己観です。

自転車から考えるSelf-as-We

具体的な例で考えてみましょう。
「自転車に乗って通勤する」という行為を想定した場合、従来の自己観では、私が、道具である自転車を使いこなして移動すると考えます。
ところが、Self-as-We、「われわれとしての自己」では、「わたし」や自転車、道路、それを管理してくれている人たち、交通ルール…等々、出勤という行為を支える
すべての人・モノ・コトを含むシステムを「われわれ」=自己と捉えます。
そして、「わたし」を含む「われわれ」のすべての要素は、「われわれとしての自己」から行為の一部を委ねられている(この場合、「わたし」は、サドルに腰かけ、ハンドルを握り、足を交互に動かして自転車を前進させる…ということを委ねられている)と考えます。

「従来の自己観」、「われわれとしての自己」をぞれぞれイラストでまとめた図 「従来の自己観」、「われわれとしての自己」をぞれぞれイラストでまとめた図

チームスポーツから考える
Self-as-We

チームスポーツを例に考えると、もっとわかりやすいかもしれません。チームという「われわれとしての自己」に委ねられて「わたし」はプレイをしています。
「わたし」が得点をあげた場合、それは「わたし」の活躍であると同時に「われわれとしての自己」=チームの活躍でもある。
こうした感覚は多くの方にとって比較的なじみ深いものではないでしょうか。この考え方を広げて、「わたし」の所属するチームだけでなく相手チームも審判も観客も、コートやゴールなどのモノも、ルールも、ゲームを支えるすべての人・モノ・コトを含むシステムを「われわれ」=自己と考える。そのときに、「わたし」と「われわれ」のよりよいあり方とはどういう状態か。

よりよい
社会のために

「われわれとしての自己」という、たくさんの行為主体(エージェント)が含まれるシステムのなかに、AIやデジタルツイン、ロボットなど、新たなエージェントが参加してきたときに、
「われわれ」のあり方はどう変わるのか。
そうしたことを議論し、よりよい未来社会のための技術を構想しようというのが、このラボとディスカッションの目的です。

※Self-as-Weに関する京都大学とNTTの共同研究に関するリリースはこちらをご覧ください。

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