検索パネルを開く 検索パネルを閉じる メニューを開く メニューを閉じる

2015年12月16日

盗聴不可能な量子暗号の通信距離を2倍にする新方式を提唱 ~「量子中継」なしに「全光」で、800km圏内の主要都市間量子暗号の実現近づく~

日本電信電話株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:鵜浦博夫、以下NTT)の研究チームは、物理法則により、究極的な安全性を保障する量子暗号※1の通信距離を、「量子中継※2」を用いずに光デバイスのみで、通信速度を落とすことなく、2倍にする新方式「全光都市間量子暗号」を提唱しました。本方式により、これまで400km程度だった既存方式の通信圏が800km程度まで拡大できるため(図1)、(現状では技術的ハードルの高い)量子中継の実現を待たずして、主要都市間量子暗号が実現される可能性が出てきました。
 量子暗号はその高い安全性から、国民投票や首脳会談、金融取引、遺伝・生体情報のやり取りなどに必要とされる秘匿通信をネットワーク上で行うことを可能にします。既存方式に基づく市内間量子暗号は既に実用化段階にありますが、ファイバの光損失に抗して量子暗号の通信圏を拡大するには、これまで量子中継が必須とされてきました。依然として大陸間通信に量子中継がなくてはならないのは確かですが、「物質量子メモリ※3」や「量子誤り訂正符号※4」などの高難度技術を要する量子中継は、1000km圏内の主要都市を結ぶ目的には、技術要求レベルが必要以上に高い可能性がありました。それに対し、本方式は、それらの高難度技術を用いず、光デバイスだけで構成される中間ノード一つで動作するにも関わらず、800km以下の通信距離に対しては量子中継の効率をも凌駕します。本方式発見のポイントは、既存の量子もつれ配送方式の「時間反転」に潜在した「光損失への適応性」を引き出した点にあります。
 本成果は、2015年12月16日(英国時間)に英国科学誌「ネイチャー・コミュニケーションズ」から公開されます。
 なお、本研究の一部は、NICT受託研究「セキュアフォトニックネットワーク技術の研究開発」と「量子もつれ中継技術の研究開発」の助成を受けて行われました。

研究の背景

近年の様々なセキュリティインシデントの増加により、以前にも増して情報社会におけるセキュリティへの関心が高まってきています。通信も例外ではなく、例えばアメリカ国家安全保障局(NSA)は、量子コンピュータへの脆弱性が示されている(RSA※5などの)現在の暗号方式から、量子コンピュータに耐性を有する暗号方式への移行予備計画を発表しています[2015年8月19日付NSAプレスリリース: https://www.nsa.gov/ia/programs/suiteb_cryptography/ (別ウインドウが開きます) ]。量子コンピュータに耐性を持つほど強固なセキュリティを持つと期待される暗号の候補は(数理暗号を含めて)幾つか存在しますが、量子コンピュータへの耐性が厳密に理論保障されているのは、現状では、安全性を物理法則に委ねる「量子暗号」ただ一つです。このような究極的に高いセキュリティを持つ量子暗号は特に、国民投票や首脳会談、金融取引、遺伝情報や生体情報のやり取りなどで必要となる、重要通信を秘匿化する手法と想定されています。
 量子暗号は、量子力学特有の振舞いをする「光子※6」のファイバ伝送に基づきます。事実、既存の量子暗号は、送受信者間での光子の直接伝送に基づき、100km程度の通信距離であれば海外では既に製品化されており、日本でも「東京QKDネットワーク※7」に象徴されるように試験運用の段階にあります。従って、既存方式によって、市内間(100km程度)の拠点を量子暗号で結ぶことは現在でも実現可能と言えます。しかしながら、ファイバ中の光損失(の通信距離に対する指数関数的増大)により、400km程度が既存方式の通信距離の限界だとされており、この通信圏外にある量子暗号ネットワーク同士を結ぶためには、既存の(直接伝送)方式と異なる「量子中継」が必要とされてきました。量子中継は、任意の通信距離に対して効率的に(通信距離に対して多項式程度のリソースで)量子暗号を行う事を可能にするため、世界各地の研究グループで、量子中継の原理検証実験が盛んに行われています。しかしながら、量子中継は互いにファイバで結ばれた多数の中継ノードを利用し、各々の中継ノードは、現状では高難度技術である物質量子メモリや量子誤り訂正符号を必要としています。これらの要請は、量子中継から通信距離限界をなくし、大陸間を結ぶというような高い目標を叶えるためには必須と考えられますが、中長距離、例えば主要都市(1000km程度)を結ぶ目的には、量子中継は技術要求が高すぎる可能性がありました。

研究の成果

NTTの研究チームは、量子中継で必要とされる物質量子メモリや量子誤り訂正符号を一切用いず、光デバイスのみに基づく中間ノードたったひとつで、通信速度を落とすことなく、量子暗号の通信距離を2倍にする新方式「全光都市間量子暗号」を提唱しました(図2、3、表1)。本方式は、800km以下の通信距離であれば、(原子集団に基づく)量子中継よりも効率的に機能し得ることが示されており、400km程度が限界だった既存の量子暗号の通信圏を、800km程度まで拡大することを可能にします(図1)。また、本方式は、全光量子中継※8[2015年4月15日付NTTプレスリリース:http://www.ntt.co.jp/news2015/1504/150415a.html]同様、物質量子メモリを用いないため、(a)通信距離に依らず、光デバイスの動作速度と同程度の通信速度を誇り、(b)原理検証段階にある物質と光のインターフェースを必要とせず、さらには(c)原理的には常温で動作します。従って、本方式は、800km圏内にある主要都市間を結ぶ、費用対効果の優れた量子暗号バックボーンリンクとして機能する可能性があります。本方式の発見のポイントは、数ある既存の量子暗号方式の中で、「時間反転型」量子暗号方式のみに潜在した「光子損失への適応性」を見出した点にあります(詳細は【技術のポイント】を参照)。

今後の展開

今回発見された全光都市間量子暗号は、従来の直接伝送に基づく市内間用の量子暗号方式と、量子中継に基づく未来の大陸間量子暗号との間の技術的間隙を埋め、主要都市間を結ぶという新たな役割を担う新技術です。従って、本方式が必要とする光デバイス(線形光学素子※9、単一光子源※10、光子検出器※11、アクティブフィードフォワード技術※12)の今後の研究開発次第では、近い将来に、800km圏内にある国内の重要拠点間、あるいは隣国の首都間に、極めて高いセキュリティの暗号通信が提供されるようになる可能性があります。これは、量子暗号の市場拡大だけでなく、究極的に安心安全な情報社会の実現をもたらします。また、主要都市間を結ぶ本方式が、大陸間用の量子中継方式の中でも特に、同様の光デバイスだけで実装される全光量子中継と組み合わされれば、高速かつ費用対効果に優れた、光デバイスのみに基づく「全光量子暗号ネットワーク」の地球規模での実現がシームレスなものになります。これは光デバイス開発が、既存の量子暗号方式の実用化に続き、全光都市間量子暗号、全光量子中継、全光量子コンピュータ※13の実現に貢献し、未来の「量子」情報社会の実現を切り拓くことを意味しています。私たちは、このような量子情報社会の創造を目指し、NTTの強みである先端光デバイスの研究開発を今後も推し進めていきます。

技術のポイント

量子暗号方式の目的は、送受信者に暗号通信を可能にする「秘密鍵」を提供することであるため、その効率は秘密鍵生成率で評価されます※1。従来方式の中で最もシンプルな、光子の直接伝送に基づく方式の秘密鍵生成率は、方式の詳細に依らず、送受信者間を結ぶファイバの透過率に比例して悪化することが理論的に証明されており[図3(Ⅳ)、2014年10月24日付NICTプレスリリース:http://www.nict.go.jp/press/2014/10/24-2.html (別ウインドウが開きます) ]、劇的な効率改善は望めません。そこで、次にシンプルな方式として、送受信者間の中間に配されたノードを利用する方式に焦点を絞ります。
 送受信者間の中間に配されたノードを利用する既存方式は、「量子もつれ配送方式」と、それに単純な時間反転を施した「時間反転型方式」です(図4)。前者の量子もつれ配送方式(図4a)では、中間ノードが量子もつれ状態※14にある光子対を準備し、各々の光子を送受信者に配送し、両方の光子がファイバ伝送中に損失を受けずに送受信者に届くことが成功条件です。ここでの成功確率は、送受信者間を結ぶファイバの透過率に比例するため、その秘密鍵生成率は直接伝送に基づく方式と同程度です。時間反転型方式(図4b)についても、量子もつれ配送方式の単純な時間反転に過ぎないため、その秘密鍵生成率は送受信者間を結ぶファイバの透過率に比例し[図3(Ⅲ)]、直接伝送に基づく方式と同程度です。ただ、これらの方式の改善余地については事情が異なっています。具体的には、量子もつれ配送方式では、量子もつれを与える光子の対をファイバ伝送に選択してしまっているため、ファイバ伝送中で生じ得る光子損失の有無によって方式を変更する余地がありません。他方で、時間反転型方式では、「ベル測定」によって量子もつれを供給する光子の対はファイバ伝送に選ぶことができます。これが、時間反転型方式のみが有している改善の余地です。今回の全光都市間量子暗号方式は、まさに、この時間反転型方式特有の改善余地を利用しています。
 具体的には、全光都市間量子暗号(図2)では、送受信者は、多重化を利用し、光子を同時に中間ノードに伝送します。中間ノードは最初に、ファイバ伝送で損失されなかった光子を探します。この中から、送信者側から届いた光子と、受信者側から届いた光子を対とし、中間ノードはベル測定によって、それらの対に量子もつれを供給することを試みます。もしこのベル測定が成功すれば、送受信者が秘密鍵の候補を得るという仕組みです。つまり、全光都市間量子暗号では、中間ノードは伝送中の光子損失の有無によって、量子もつれを供給する光子の対を選択しており、これが既存の量子もつれ配送方式や時間反転型方式との違いです。実際、この違いによって、全光都市間量子暗号の1パルスあたりの秘密鍵生成率は、送受信者間を結ぶファイバの透過率ではなく、送信者と中間ノード(あるいは受信者と中間ノード)を結ぶファイバの透過率程度となります[図3(Ⅰ)]。つまり、全光都市間量子暗号は、既存方式の秘密鍵生成率そのままに、その通信距離を2倍にすることができます。また掲載論文中では、全光都市間量子暗号(図2)において必要とされる大規模スイッチ(SW)とベル測定(BM)の代わりに、それを単一モードに対するオン/オフスイッチ、静的な線形光学回路と光子検出器で実現する変型版も与えており、その効率が図3(Ⅱ)で与えられています。
 実際、最先端技術を仮定し、全光都市間量子暗号の効率を計算すると(図3)、以下のような特徴があることがわかります:(1)100km以上の通信距離で、従来の時間反転型方式(図4b)の効率[図3(Ⅲ)]を凌駕。(2)200km以上の通信距離で、光子の直接伝送に基づく任意の方式の効率に対する理論限界[図3(Ⅳ)、2014年10月24日付NICTプレスリリース:http://www.nict.go.jp/press/2014/10/24-2.html (別ウインドウが開きます) ]を凌駕。(3)800kmの通信距離に対しては、従来の時間反転型方式と7桁の効率の開きを達成[図3(Ⅰ)-(Ⅲ)]。(4)100MHzのクロック周波数が達成できれば、800kmの通信距離までは、原子集団に基づく量子中継[N. Sangouard et al., Rev. Mod. Phys. 83, 33 (2011)]の効率を凌駕。

図1:全光都市間量子暗号によって拡大可能な通信圏

図1:全光都市間量子暗号によって拡大可能な通信圏

図2:全光都市間量子中継

図2:全光都市間量子中継"

図3:効率比較

図3:効率比較

図4:中間ノードを用いる既存方式

図4:中間ノードを用いる既存方式

表1:全光都市間量子暗号の位置づけ

表1:全光都市間量子暗号の位置づけ

掲載論文情報

Koji Azuma, Kiyoshi Tamaki and William J. Munro,
‘All-photonic intercity quantum key distribution’,
Nature Communications [2015年12月16日(英国時間)].
doi: 10.1038/ncomms10171

用語解説

※1量子暗号
送受信者が、(送受信者以外)誰にも予測ができない「秘密鍵」と呼ばれるランダムなビット列を持っていれば、それを消費することで、無線通信路やインターネットのような公開通信路で秘匿通信が行えます(バーナム暗号)。量子暗号とは、送受信者間での量子力学的「重ね合わせ状態」のやり取りを通じ、そのような「秘密鍵」を送受信者に提供する方法の事です。そのため、量子鍵配送と呼ばれることもあります。例えば100km程度の量子鍵配送では、送受信者は、光ファイバを通じ、光子※6を直接やり取りすることでビット列を共有し、ビット誤りを訂正し、量子力学の原理によって見積もられる「盗聴者(自然界)への漏洩情報」を基に、さらにビット列の長さを適切に縮めることで、所望の「秘密鍵」を得ることができます。

※2量子中継
量子中継とは、送受信者間の中継器を利用し、量子通信のリソースである「量子もつれ※14」を送受信者に効率的に(通信距離に対して多項式程度のリソースで)提供する方法。その方法は主に、中継器を利用した「量子もつれ生成」と「量子もつれスワッピング」という操作から成る。長距離量子通信を行う際に必要とされます。

※3物質量子メモリ
量子メモリとは、量子力学的「重ね合わせ状態」を一定時間「保持」する機能を指します。例えば、現在のコンピュータで用いられているメモリは、0あるいは1のいずれの状態も保存・記憶可能ですが、量子メモリは0と1だけでなく、それら2つの量子力学的「重ね合わせ状態」までも含めて保存できるものです。 物質量子メモリとは、量子メモリを物質系によって実現したものを指します。例えば、原子集団、単一原子、イオントラップ、量子ドット、超伝導量子ビット、ダイヤモンド中の単一窒素-空孔複合体中心(NV中心)など。

※4量子誤り訂正符号
複数の量子ビットを組み合わせ、エラー耐性を持つ(少数個の)量子ビットを構成する符号。

※5RSA暗号
大きな整数の素因数分解が困難であることを安全性の根拠とする公開鍵暗号。発明者であるR. Rivest、A. Shamir、L. Adlemanの頭文字をとってRSA暗号と呼ばれます。素因数分解は量子コンピュータによって効率的に解くことが可能であるため、量子コンピュータが実現されれば、RSA暗号は(それに基づき通信された過去のデータも含めて)解読されてしまいます。

※6光子
光の粒子的な側面を光子と呼び、これ以上分割することのできない光エネルギーの最小単位が1光子です。例えば、1光子をビームスプリッターに通せば、光子は量子力学的「重ね合わせ状態」となります。

※7東京QKDネットワーク<http://www.nict.go.jp/press/2010/10/14-1.html (別ウインドウが開きます)
国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)と、その委託研究機関である日本電気株式会社、三菱電機株式会社、日本電信電話株式会社と共に、NICTのテストベッドJGN2plus上で2010年に試験運用された量子暗号ネットワーク。試験運用には株式会社東芝やヨーロッパの研究機関も参加し、標準化に向けた相互接続実験も行われました。

※8全光量子中継<http://www.ntt.co.jp/news2015/1504/150415a.html
光デバイスと物質量子メモリの組み合わせに基づく従来の量子中継方式と一線を画し、線形光学素子※9、単一光子源※10、光子検出器※11、アクティブフィードフォワード技術※12らの光デバイスのみで量子中継を実装する方式。

※9線形光学素子
光子数を保存する受動光学素子。例えば、ビームスプリッター、半波長板、1/4波長板、位相シフタ、偏光ビームスプリッターなど。

※10単一光子源
1光子をオンデマンドに発生する装置。

※11光子検出器
1光子レベルの微弱な光でも検出可能な測定器。

※12アクティブフィードフォワード技術
光スイッチなどを利用し、光子検出器からの測定結果に依存して、線形光学回路を高速に切り替える技術。

※13全光量子コンピュータ
線形光学素子※9、単一光子源※10、光子検出器※11、アクティブフィードフォワード技術※12らの光デバイスのみで量子コンピュータを実装する方式。考案者のE. Knill, R. Laflamme, G. J. Milburnの頭文字をとってKLM方式と呼ばれることもあります。

※14量子もつれ
複数粒子の状態が、部分系の記述をどんなに巧みに持ち寄っても決して表現できない、量子力学特有の現象。量子通信、量子計算に欠かせないリソース。光子や原子などを用いて、その存在は既に実験で確認されています。

本件に関するお問い合わせ先

日本電信電話株式会社
先端技術総合研究所 広報担当
TEL 046-240-5157
e-mail a-info@lab.ntt.co.jp

Innovative R&D by NTT
NTTのR&D活動を「ロゴ」として表現しました

ニュースリリースに記載している情報は、発表日時点のものです。
現時点では、発表日時点での情報と異なる場合がありますので、あらかじめご了承いただくとともに、ご注意をお願いいたします。