2016年4月18日
日本電信電話株式会社
科学技術振興機構(JST)
内閣府政策統括官(科学技術・イノベーション担当)
内閣府 総合科学技術・イノベーション会議が主導する革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)の山本喜久プログラム・マネージャーの研究開発プログラムの一環として、日本電信電話株式会社(東京都千代田区、代表取締役社長 鵜浦博夫以下、NTT)NTT物性科学基礎研究所(所長 寒川哲臣)量子光制御研究グループの武居弘樹 主幹研究員、稲垣卓弘 研究員らのグループは、大阪大学大学院工学系研究科の井上恭 教授らと共同で、組合せ最適化問題の解を高速に探索する「コヒーレントイジングマシン」実現の基盤技術である、光による大規模な人工スピン群の生成に成功しました。
通信網、交通網、ソーシャルネットワークなど、社会を構成する様々なシステムが大規模化、複雑化するにつれ、システムの解析や最適化が重要な課題となっています。これらの課題の多くは組合せ最適化問題と呼ばれる、従来のコンピュータが苦手とする数学的問題に帰着されることが知られています。本研究グループでは、光パラメトリック発振器と呼ばれる光の発振状態をスピン(注1)として見立て、相互作用する多数のスピンが全体のエネルギーを最低とするようにその向きをとる現象を利用して組合せ最適化問題の解を探索する「コヒーレントイジングマシン」の研究を行っています。
今回、長さ1kmの長距離ファイバ光共振器中に配置した高非線形光ファイバ中の四光波混合(注2)により、時間的に多重された10,000を超える光パラメトリック発振器を一括生成することに成功しました。さらに、隣接する発振器を結合することにより、1次元のスピンネットワークを模擬し、光パラメトリック発振器群が低温下のスピンのようにふるまうことを確認しました。
本研究成果は、長距離光ファイバ共振器を用いて時間多重された光パラメトリック発振器を生成する今回の手法が、数千を超えるスピン数を持つコヒーレントイジングマシンの構築のための基盤技術として有用であることを示すものであり、大規模な組合せ最適化問題を従来に比して飛躍的に高速に解くコンピュータの実現に寄与することが期待されます。
本研究成果は、2016年4月18日16時(英国時間)に英国の科学誌「ネイチャー・フォトニクス」のオンライン速報版で公開されます。
本成果は、以下の事業・研究プロジェクトによって得られました。
内閣府革新的研究開発推進プログラム(ImPACT) http://www.jst.go.jp/impact/ |
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プログラム・マネージャー | : | 山本 喜久 |
研究開発プログラム | : | 「量子人工脳を量子ネットワークでつなぐ高度知識社会基盤の実現」 |
研究開発課題 | : | 「大規模時分割多重光パラメトリック発振器に基づくコヒーレントイジングマシン」 |
研究開発責任者 | : | 武居 弘樹 |
研究期間 | : | 平成26年度~平成30年度 |
インターネットや交通網、ソーシャルネットワークなど、社会を構成する様々なシステムが大規模化、複雑化する現在、それらのシステムをいかに効率よく運用するかは重要な課題となっています。これらの課題の多くは、組合せ最適化問題と呼ばれる数学的問題に帰着します。組合せ最適化問題とは、数多くの選択肢の組合せの中から最も良いものを見つけ出す問題で、選択肢が多くなると計算時間が爆発的に増大するため、現代のコンピュータでは解くことが大変困難であることが知られています。
一方、組合せ最適化問題の多くは相互作用するスピン群のモデルである「イジングモデル」のエネルギー最小状態(基底状態)を求める問題に帰着可能です。最近、人工的に作製したスピンを用いてイジングモデルを模擬し、そのエネルギー最小状態を求めることで複雑な組合せ最適化問題を高速に解く試みが多くの研究機関で盛んになってきました。
中でも、コヒーレントイジングマシン(coherent Ising machine)は、光を用いて実現した人工スピン群により高速にイジングモデルを解く可能性がある計算機として現在注目を集めています(図1、2)。本方式では、光パラメトリック発振器(optical parametric oscillator:OPO)をスピンとして用います。OPOは、0またはπの位相しかとらない特殊なレーザ発振器で、位相0,πをそれぞれ上向き、下向きのスピンに対応させることができます。各OPOから出力される光を、光伝送路を介して互いに注入することで、スピン間の相互作用を実現します。光伝送路によりネットワーク化されたOPO群は、多くの場合ネットワーク全体の損失が最小となる位相の組合せで発振するため、イジングモデルの基底状態を与えるスピンの組合せを高い確率で得ることができます。
2014年にスタンフォード大学のグループが4つのOPOを人工スピンとして用いてコヒーレントイジングマシンの原理確認実験に成功しています。しかし、現実社会で課題となっている複雑な組合せ最適化問題に適用するためには、スピン数を飛躍的に増大する必要がありました。
今回、長さ1kmという長距離光ファイバ共振器を用いて、時間多重された10,000個を超えるOPOを一括発生することに成功しました(図3)。光ファイバ通信の研究開発で培った技術を用いることで、現実社会で課題となっている複雑な問題を解くことが可能な大規模コヒーレントイジングマシンを実現するための多数の人工スピンの生成が可能となりました。
また、隣接するOPO間に光結合を導入することで、最もシンプルなネットワークである1次元のイジングモデルを模擬する実験を行いました。この実験により、室温で動作するOPO群が、低温下のスピンの振る舞いをよく模擬する、高品質な人工スピンとして動作することを確認しました。
<1>長さ1kmの高非線形光ファイバ中の四光波混合より、位相0とπの光だけを増幅する位相感応増幅器を実現
<2>位相感応増幅器を光ファイバループに挿入することで、長さ1kmの長距離光ファイバ共振器を構築し、位相感応増幅器を2GHzの繰り返しで動作することにより、10,320個のOPOを発生(図3)
<3>発生したOPOの位相が0またはπに二値化しており、安定な人工スピンとして使用可能であることを実験で確認(図4)
<1>1ビット遅延干渉計を共振器中に挿入することで、各OPOの光の一部を隣接するOPOに注入し、1次元の結合を実現(図5)
<2>OPO結合の位相を調整することで、ネットワーク化された人工スピンが強磁性的・反強磁性的に振る舞うことを観測(図6)。また、位相感応増幅器の駆動条件を変えることで、ネットワークのエネルギーが低下することを観測(図7)。この結果、室温で動作するOPO群が、高品質な人工スピンとして使用可能であることを確認。
実験系を図3に示します。パルス幅100ps、繰り返し周波数2GHz(パルス間隔500ps)、波長1531nmおよび1551nmの2波長のポンプパルス列を、波長多重フィルタを介して光共振器に入力します。光ファイバ共振器には、長さ1kmの高非線形光ファイバ、波長フィルタ、偏波コントローラ、および99:1光カプラが含まれています。高非線形光ファイバ中の2波長四光波混合により、2つのポンプ波長の中間点にあたる1541nmにおいてポンプ光の位相に対して0またはπの位相成分だけが増幅される位相感応増幅と呼ばれる現象が得られます。ポンプ光入力直後に位相感応増幅により発生した雑音が種光となり、波長フィルタを透過する1541nmの光のみが光ファイバ共振器中を周回するようにすることで、位相が0またはπのみの光が発振するOPOを実現できます。光の共振器1周時間が約5μs、ポンプパルスの時間間隔が500psなので、1つの共振器だけを用いて10,000を超えるOPOを発生することができます。発生したOPOの一部は99:1カプラにより共振器外に取り出し、1ビット遅延干渉計を用いて隣接パルス間の位相差を測定します。位相差測定の結果を図4(a)に示します。このように、位相差のコサイン成分が1または-1に二極化、すなわち各OPOの位相が0またはπのみをとっています。発生した全OPOに相当する10,320パルスの位相差測定結果のヒストグラムを図4(b)に示します。このように、全てのOPOの位相は0またはπに離散化しており、1万個以上の安定な人工スピンが発生したことが確認できました。
生成したOPO群を用いて最もシンプルなネットワークである1次元イジングモデルを模擬する実験を行いました。図3に示す実験系において、位相差測定に用いたものと同様の1ビット遅延干渉計を共振器中に挿入することで、各OPOの光の一部を隣接するOPOに注入し、1次元の結合を実現できます(図5)。干渉計の2光路の位相差を0またはπとすることで、強磁性結合(スピンの向きが同じとなる)および反強磁性結合(逆となる)を実現可能です。位相差測定の結果を図6(a)(干渉計位相差0)、(b)(π)に示します。このように、干渉計の位相差に応じて、スピン群が強磁性的/反強磁性的な振る舞いをすることが確認できました。また、図6(a)中に示すように、強磁性結合においても全てのスピンは揃わずドメイン構造を持つことが観測されました。これは、理論的に示されている「有限温度下では基底状態にならない」という1次元イジングモデルの特性をよく再現しています。さらに、強磁性結合においてポンプ光振幅を変えた場合にドメイン長の分布がどのように変化するかを調べた結果を図7に示します。ポンプ光振幅が発振閾値に近いほど、長いドメインが形成され、基底状態(ドメインが無くなり、全てのスピンが揃う状態)に近づくことがわかります。
今回の実験では隣接OPO間の結合のみを用いたため、模擬したネットワーク構造は1次元にとどまっていました。今後は、任意のOPO間に結合を実装することで、より複雑なスピンネットワークを実現し、大規模な組合せ最適化問題の解探索が可能なコヒーレントイジングマシンの実現を目指します。
図1:コヒーレントイジングマシン。(a)概念図。0またはπの位相のみをとるレーザ発振器である光パラメトリック発振器(OPO)をスピンとして用いる。スピン間相互作用は各OPO光を相互に注入することで実現する。(b)コヒーレントイジングマシンによるエネルギー最小状態の探索。OPOネットワーク損失をOPO群の位相の関数としてプロットしたもの。OPOを駆動するポンプ光をゆっくりと増大することにより、多くの場合ネットワーク全体の損失が最小となる位相の組合せでOPO群が発振する。発振時の各OPOの位相を読み取ることで、該当するイジングモデルの基底状態を与える位相の組合せ(=スピンの組合せ)を高い確率で得ることができる。
図2:時分割多重OPOを用いたコヒーレントイジングマシン。<1>ポンプ光がオフの状態(光が無い状態)で相互結合光路をあらかじめ設定しておき(問題の設定)、ポンプ光パルスをONにする。ポンプ光パルスが入力される時間位置に雑音光パルスが発生する。<2>雑音光パルスが光ファイバ共振器を周回する。OPOパルス間の相互作用と位相感応増幅を繰り返すことで、OPO振幅が増大しつつ、徐々に各OPOの位相が定まっていく(解の探索)。<3>OPOが発振し、全体のエネルギーが最小となる位相の組合せ(問題の解)を得る。
図3:大規模時分割多重OPO実験系。長さ1kmの光ファイバ共振器の一周時間が約5μs、ポンプパルスの時間間隔が500psなので、約10,000個のOPOを一つの光ファイバ共振器で発生できる。
図4:OPOの位相差測定結果。(a)は位相差のコサイン成分を時間の関数として、40個のOPOに関して表示している。500ps毎に1または-1の値をとっていることから、隣接パルス間の位相差が0またはπに二値化している。(b)は10,320個全てのOPOの位相差の分布を示している。全てのOPOの位相差が0またはπに離散化していることがわかる。
図5:1次元スピンネットワークの模擬。(a)1ビット遅延干渉計を共振器中に挿入することで、各OPOの光の一部を隣接するOPOに注入し、1次元の結合を実現。(b)模擬した1次元スピンネットワーク。
図6:1次元イジングネットワークの位相測定結果。(a)は隣接OPO間の結合位相が0、(b)はπの場合を示している。結合位相が0の場合はスピン群の位相が揃うように(強磁性的)、πの場合は隣接スピンの位相が反転するように(反強磁性的)ふるまう。
図7:ドメイン長分布のポンプ光振幅依存性。pは規格化ポンプ振幅であり、p=1が発振閾値に相当する。ポンプ振幅が発振閾値に近いほど、長いドメインが観測され、より基底状態に近づいている。
(注1) | スピン | : | 電子などの素粒子は小さな磁石としての性質をもつ。この磁石としての性質を古典的な球の自転になぞらえて「スピン」と呼ぶ。 |
(注2) | 四光波混合 | : | 入力した光に対して非線形な応答を示す媒体に異なる波長をもつ2つまたは3つの光を入力したとき、新たな波長の光が発生する現象。 |
"Large-scale Ising spin network based on degenerate optical parametric oscillators"
(縮退光パラメトリック発振器に基づく大規模イジングスピンネットワーク)
Nature Photonics
本件に関するお問い合わせ先
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武居 弘樹(タケスエ ヒロキ)
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