2016年7月 5日
日本電信電話株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:鵜浦博夫、以下 NTT)は、英国国立物理学研究所(National Physical Laboratory:NPL)と共同で、シリコントランジスタ※1から成る単電子転送素子(電子を一つずつ正確に運ぶ素子)を1ギガヘルツ(109 Hz:GHz)の高速で動作させた際の、精密な精度評価を行い、ギガヘルツ領域での世界最高精度(9.2×10-7以下のエラー率※2)の実証に成功しました。
単電子転送素子の高精度化は、精度の高い電流の生成に繋がるため、電流の物差しに対応する電流標準※3への応用へ向けて前進したと考えられます。単電子転送に基づいた電流標準を実現すると、近年、再定義が提案された電流の基本単位であるアンペアの最も直接的な実現に繋がります。更に基礎物理定数に矛盾がないことを検証する量子計測三角形※4の実験への応用も期待され、基礎物理分野にも大きく貢献すると考えられます。
この成果は、2016年7月5日(米国時間)に米国科学誌「アプライド・フィジックス・レターズ(Applied Physics Letters)」オンライン版で公開されます。
国際単位系(SI)※5はプランク定数h や電荷素量e などの自然不変量を利用した定義へと変更されることが2011年に提案されました(図1)。この再定義では、電流の基本単位であるアンペアの定義も変更されます。新しいアンペアは、これまで測定値であったe を固定値とし、電流標準によって電流ef (f :周波数)を生成することで設定されます。クロック制御を利用して電子を一つずつ正確に運ぶ単電子転送素子はe とアンペアを結びつける(図1)ため、最も直接的な電流標準として利用できると期待され、注目を集めています。また、単電子転送素子による高精度な電流標準が実現すると、基礎物理定数に矛盾がないことを検証する量子計測三角形実験(図1)へ適用することができ、基礎物理分野へも大きく貢献します。
実用的な電流標準は高速(電流値大に対応)かつ高精度に動作しなくてはなりません。その目標へ向けて、NTT物性科学基礎研究所では、シリコントランジスタを利用した単電子転送素子の研究を進めてきました。シリコン素子は長年蓄積されてきた微細加工技術により極めて小さい構造を作製できるため、電流標準に適した高精度動作が予測されていましたが、これまで精度測定の条件などが最適化されておらず、精度の精密測定が必要でした。また、これまで高精度動作の報告があった、砒化ガリウム(GaAs)を利用した単電子転送素子は1GHzを超える周波数では精度が大幅に劣化するという問題がありました。
今回、NTT物性科学基礎研究所は、シリコントランジスタから成る単電子転送素子(図2)において、高速単電子転送時(動作周波数1GHz)での高精度電流測定を行い、ギガヘルツ動作での世界最高精度(転送エラー率が9.2×10-7以下)を達成しました(図3)。これは、英国国立物理学研究所(National Physical Laboratory: NPL)の高精度電流測定系(図4、図5)を利用して、NTTのシリコン単電子転送素子を精密測定し得られた結果です。この値は、シリコン単電子転送素子の従来の評価に比べ、エラー率として2桁程度の向上となります。更に、2GHzでの同様の実験では、転送エラー率が3×10-6程度であることがわかり、1GHzの壁を打ち破る、高速動作に適した素子であることが実証されました。
<1> 素子構造 | : | シリコン細線上に2つの微細ゲート電極(入口ゲートG1、出口ゲートG2)を形成した後、それらの上面を全て覆う上層ゲート電極を形成することで、2層ゲートを持つトランジスタを作製しました(図2)。 |
<2> 動作原理 | : | 入口ゲートと出口ゲートに負の電圧を印加すると、シリコン細線中に電子に対する障壁が形成され、障壁間は微細な閉じ込め領域(単電子島※6)となります(図2)。更に、入口ゲートに周波数f の高周波信号を印加することで、左側のソース電極から電子を単電子島に捕獲し、その後右側のドレイン電極に放出します。1周期あたりに1電子を転送する場合、電流値はef となります。このタイプの動作では、入口側障壁を大きく変化させて転送するため、可変障壁単電子転送と呼ばれます。 |
<3> 高速動作性能 | : | 通常の電流測定系(図4)を利用した転送電流の測定結果を図6に示します。横軸は出口ゲートに印加する電圧(VExit)で、ここでは単電子島のポテンシャルを調節するために利用しています。最高で周波数6.5GHzまで転送電流のプラトー※7を観測することができました。6.5GHzでの動作はこれまでで最高速度の動作となります(1GHz及び2GHzでの動作よりは精度が落ちる)。 |
<4> 精度評価 | : | NPLの高精度電流測定系(図4、技術のポイント2参照)を利用して、1GHzでの高精度測定を行った結果を図3に示します。これは、図6の1GHzの特性で最も平坦な部分を拡大したものに対応します。転送電流のプラトーと考えられる領域の、電流測定結果から、転送電流は9.2×10-7の不確かさ※8でef に一致する結果が得られました。このことから、転送エラー率が9.2×10-7以下の高精度を持つ動作であることが示されました。また、9.2×10-7という値は測定系の測定限界で決まっており、単電子転送素子の転送エラー率は更に良い(理論的には10-8以下が期待)と考えられます。 |
NTT物性科学基礎研究所では、ナノメートルスケールのシリコントラジスタをウエハレベルで作製する技術を長年蓄積してまいりました。2層ゲートと微細単電子島を持つ構造も、歩留まりよく作製することができます。単電子島を微細にすると、転送精度を決める電子の帯電エネルギーが大きくなり、高精度動作が期待できます。今回の高精度動作は、10ナノメートルレベルの細線に、ゲート電圧による閉じ込めを与えることで達成できました。
市販の電流計により電流を測定すると、最良でも10-4程度の不確かさが存在します。更なる高精度測定を実現するために、単電子転送電流と1GΩの高精度な標準抵抗を流れる参照電流を比較する手法を利用しました(図4、 図5)。この手法では高精度に校正された標準抵抗を利用することで、不確かさを10-6程度まで落とした高精度な測定を実現することができます。これを用いることにより、これまでの測定では示せなかった高精度動作までを示すことができました。また、この測定系では異なる材料、研究機関で作製された素子の測定も行われており、今回の成果は、10-6レベルでの可変障壁単電子転送素子の普遍性※9の確認にも貢献しています。
実用的な電流標準実現へ向けて、更なる高精度実証を目指した取り組みを進めていきます。1つは高精度測定系の改良により、1×10-7程度しか不確かさを持たない高精度測定を行っていきます〔EU(欧州連合)の量子電流標準プロジェクトと協力〕。また、転送した電子数を電子1つレベルの分解能を持った電荷計を用いて計測することで、電流標準の目標値である1×10-8以下のエラー率(図7)を持つ高精度動作へ向けた精度評価も同時に進めていく予定です。合わせて6.5GHzの高速動作時における精度低下の原因を探求し、最高速時での高精度動作の追究を行っていきます。これらにより、高精度な量子計測三角形の実験や、新しいアンペアを直接実現する素子の開発を目指します。
G. Yamahata, S. P. Giblin, M. Kataoka, T. Karasawa, A. Fujiwara
"Gigahertz single-electron pumping in silicon with an accuracy better than 9.2 parts in 107"
Applied Physics Letters (2016).
NPLからも本成果に関する報道発表が行われます。
http://www.npl.co.uk/news/record-speed-and-accuracy-achieved-with-single-electron-pumps
※1シリコントランジスタ
半導体のシリコンを利用して作製された、電気信号のスイッチや増幅を行うことのできる素子。今回は、シリコン上に絶縁膜(シリコン酸化膜)を介して形成されたゲート電極に電圧を印加することによりシリコン中に流れる電流をON-OFFさせる、電界効果トランジスタを利用しています。
※2エラー率
正確には相対エラー率と呼ばれます。単電子転送を1回行った際に、転送エラーが発生する確率。例えばエラー率1×10-6とは100万回(106回)転送した際に、平均1回のエラーしか発生しないことを意味します。
※3電流標準
電流の基本単位であるアンペアの基準となるもの。現在、アンペアは真空中で無限に長い2本の導線に同じ大きさの電流を流した際に働く力により定義されています。しかし、この定義通りの実験をすることは困難であることなどから、国際単位系(SI)の再定義では、電気素量>e を固定値としアンペアを設定することが提案されました。単電子転送を利用した実用的な電流標準としては、10-8以下のエラー率を持ち、1nA以上(周波数が6.3GHz以上)の電流値を持つものが望ましいと考えられます。これにより、例えば量子計測三角形の実験を高精度に行うことが可能になります。
※4量子計測三角形
単電子転送素子により生成した電流と、量子ホール抵抗標準およびジョセフソン電圧標準により生成した電流を比較する実験。周波数f から単電子転送とジョセフソン効果を利用して、単電子転送電流、ジョセフソン電圧を生成し、電圧と電流はオームの法則で量子ホール抵抗を介して関係することから、これらの関係が三角形で記述できます(図1)。これにより、基礎物理定数であるRK 、KJ 、e 、h などの関係性に矛盾がないかを検証することができます。
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量子ホール抵抗標準
:
2次元電子系を低温・強磁場下においた際に生じる量子ホール効果により現れる、量子化されたホール抵抗を利用した標準。ホール抵抗はフォン・クリッツィング定数(RK = h / e2)に整数の逆数を掛けた値となります
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ジョセフソン電圧標準
:
超伝導体-絶縁体-超伝導体という構造に高周波信号(周波数f )を印加した際の交流ジョセフソン効果により現れる, 離散化した電圧値を利用した標準。その電圧値はジョセフソン定数(KJ = 2e / h )の逆数にf を掛けた値の整数倍となります。
※5国際単位系(SI)
時間(秒:s)、長さ(メートル:m)、質量(キログラム:kg)、電流(アンペア:A)、熱力学温度(ケルビン:K)、物質量(モル:mol)、光度(カンデラ:cd)の7つの基本単位を定義し、その他の単位をこれらの組み合わせで取り扱う、国際的に採用されている単位系。国際単位系(SI)の再定義では、基本単位を定義するのではなく、基礎物理定数を固定値とし、それを基にして基本単位を設定する方法が提案されました(図1)。
※6単電子島
微細な島構造であり、構造の持つ電子帯電エネルギーが熱に起因するエネルギーの揺らぎより十分に大きく、一定数の電子を蓄積できる構造。蓄積できる電子数は外部からの印加電圧によって制御することが可能です。ここでは、出口ゲートG2に印加する電圧VExitを用いて、電子数の制御を行っています。
※7電流プラトー
電圧を変化させても電流値がほとんど変化せず一定値を取っている平坦な領域。電流標準として使う場合、この平坦領域を電流の基準とするため、十分に平坦で幅が広いことが必要です。また、平坦領域の幅が広いほど転送精度が高く、電圧ノイズにも強くなります。
※8不確かさ
ここでは、相対標準不確かさの意味で使用しています。不確かさとは、測定結果に対する信頼性を表すための指標で、ある確率で真の値がその範囲に存在することになります。標準偏差相当の大きさを持つ不確かさのことを標準不確かさと呼び、標準不確かさを測定値で割った相対的な値を相対標準不確かさと呼びます。
※9普遍性
標準化に必要な重要な指標の一つ。単電子転送素子の普遍性と言った場合、一定の基準以上の品質の試料を用いれば、作製・測定場所、材料、形状などの諸条件に依存せずI = ef となることを意味します。
本件に関するお問い合わせ先
日本電信電話株式会社
先端技術総合研究所 広報担当
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TEL 046-240-5157
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