2019年3月29日
日本電信電話株式会社
日本電信電話株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:澤田純、以下 NTT)は、超伝導磁束量子ビット※1を用いて少数電子スピン※2を含む微小体積の試料に対して分析を行える電子スピン共鳴※3の実証に成功しました。
電子スピン共鳴は物質中の電子スピンの性質を調べるための分析手法のひとつで、分子構造の解析等に広く使われています。しかしながら、通常の電子スピン共鳴装置※4で分析を行うには1013個程度の大量の電子スピンを含んだ試料が必要で、試料の体積も数ミリリットル(~[1cm]3、一辺1cmの立方体)程度必要です。そのため、分析を行える試料には制限があります。
超伝導磁束量子ビットは高感度な磁場センサとして機能します。今回の成果は、この磁場センサで小さな磁石としての性質を持つ電子スピンを検出することで電子スピン共鳴が行えることを示したもので、0.05ピコリットル(~[4μm]3、一辺4μmの立方体)の試料中の400個程度の電子スピンを検出可能です。微小体積中に少数スピンを含む試料に対する新たな電子スピン共鳴法を開発したことは、材料分析の手法として基礎科学分野から材料評価・生体分析・医療応用まで、幅広い分野に貢献すると考えられます。
この成果は、2019年3月29日(英国時間)に英国科学誌「コミュニケーションズ・フィジックス(Communications Physics)」オンライン版で公開されます。
なお、本研究の一部は科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「量子状態の高度な制御に基づく革新的量子技術基盤の創出(研究総括:荒川泰彦)」研究課題「超伝導量子ビットを用いた極限量子センシング(研究代表者:齊藤志郎)」(No.JPMJCR1774)の支援を受けて行われました。
電子スピン共鳴は電子スピン(不対電子)を含む材料の分析に幅広く用いられる手法です。しかしながら、分析には大量の電子スピンが必要かつ、試料の体積としても数ミリリットル程度が必要で、分析が可能な試料には制限がありました。本研究では、マイクロメートル程度の空間分解能を持ち高感度磁場センサとして機能する超伝導磁束量子ビットを用いて、電子スピン共鳴の感度と空間分解能(検出体積に相当)を大幅に向上し適用範囲を広げることをめざしました。
今回、NTT物性科学基礎研究所は、アルミニウム超伝導回路から成る超伝導磁束量子ビット(図1)を用いて電子スピン共鳴を行い、400個の感度(1秒間の積算による平均化処理)と0.05ピコリットルの検出体積を実現しました。これにより、マイクロスケールレベルの空間分解能を持ち少数スピンも測定可能な電子スピン共鳴装置が実現しました。
実験は超伝導磁束量子ビットと電子スピンを含む試料を20mK以下の絶対零度に近い極低温に冷却して行いました。超伝導磁束量子ビットのチップ上に電子スピンを含む試料を直接貼り付け、外部磁場を印加します。外部磁場を印加することで、上向きの電子スピンと下向きの電子スピンのエネルギーに差が生じます(図2)。この状態では、外部磁場と同じ向きの電子スピンがエネルギー的に安定となり、多くの電子スピンの向きが外部磁場の方向に揃います。電子スピンは小さな磁石としての性質を持つため、電子スピンが同じ向きを向いている場合は、周囲に磁場が生じます。この磁場を超伝導磁束量子ビットで測定します。ここで、超伝導磁束量子ビットは素子を構成するループ構造(図1、青色で示した部分)を貫く磁場に非常に敏感であることが知られています。次に、電子スピンのエネルギー差に等しいエネルギーを持つマイクロ波を照射すると、マイクロ波との共鳴により一部の電子スピンはエネルギーの高い状態、すなわち外部磁場と逆の方向を向きます。共鳴が起きた場合、上向きの電子スピンが作り出す磁場と下向きの電子スピンが作り出す磁場が打ち消し合い、電子スピンの周囲に生じる磁場は小さくなります。この様に共鳴の有無により電子スピンが作り出す磁場の大きさが変化するため、電子スピン共鳴の実験では、マイクロ波のエネルギーを掃引し、共鳴点を探すことにより電子スピンのエネルギー差を調べます。このエネルギー差を測定することでさまざまな材料パラメータを得ることができます。
実験では、電子スピンを含む試料としてダイヤモンド中の窒素-空孔(NV)中心※5を用いました(図3)。この試料に磁場を印加し(5.8mT)、さらにエネルギー(周波数)を変えながらマイクロ波を照射した際に超伝導磁束量子ビットの検出した磁場を観測すると、2つの大きな信号が現れました(図4)。この2つの大きな信号は、ダイヤモンド中NV中心の電子の状態を反映したもので、ピークの位置から求めた材料パラメータは文献値※6とよい一致を示しました。
超伝導磁束量子ビットは高感度磁場センサとしてよく使われている超伝導量子干渉素子(SQUID)よりも1000倍程度高い感度を持ちます。 電子スピン共鳴装置の感度は測定装置等によるノイズの大きさと検出した信号の大きさを比較することで定量化しますが、実験に用いた装置のノイズを評価し、1秒間の信号を平均化することで400個程度の電子スピンを検出できることがわかりました。
超伝導磁束量子ビットのループサイズの大きさは設計で自由に変えることが可能です。NTTで行った電子スピン共鳴の空間分解能は、超伝導磁束量子ビットのループサイズで決まっているので、そのサイズを小さくするだけで空間分解能を向上できるという特徴があります。今回は、ループ構造の大きさが24×2マイクロメートル程度の素子を用いて実験を行い(図1)、0.05ピコリットルの検出体積を実現しましたが、更なる小型化による空間分解能の向上も可能です。
通常の電子スピン共鳴装置は、試料を共振器に入れ、その共振周波数に固定したマイクロ波を照射し、磁場を掃引した際の信号強度の変化を測定することで電子スピン共鳴を行います。そのため、共振器の共振周波数以外で電子スピン共鳴を行うことは困難です。それに対し、NTTでは超伝導磁束量子ビットを磁場センサとして用いることで共振器を使わずに電子スピン共鳴を行います。そのため、照射するマイクロ波周波数には制限がなく、磁場とマイクロ波周波数の2つのパラメータを掃引した電子スピン共鳴を行うことが可能です(図4)。2軸の掃引を行うことでより広い範囲での電子スピン共鳴スペクトルが取得できるため、材料パラメータの精緻化が可能になります。
今後は実験系や素子の最適化等により電子スピン共鳴のさらなる高感度化をめざします。また、超伝導磁束量子ビットのアレイ化により電子スピン共鳴イメージングをめざします。
Hiraku Toida, Yuichiro Matsuzaki, Kosuke Kakuyanagi, Xiaobo Zhu, William J. Munro, Hiroshi Yamaguchi, and Shiro Saito
“Electron paramagnetic resonance spectroscopy using a single artificial atom”
Communications Physics (2019).
※1超伝導磁束量子ビット
複数のジョセフソン接合を含む超伝導ループで構成される超伝導回路で、適切な磁場バイアスをかけることで右回り電流状態と左回り電流状態の2つの状態を量子二準位系として扱うことができます。今回は逆に電子スピンにより生じる磁場を超伝導磁束量子ビットを制御する磁場バイアスと見なすことで、超伝導磁束量子ビットを磁場センサとして利用しています。
※2電子スピン
すべての物質は原子を基本単位として作られていますが、原子は周囲を回転する電子と、中心に位置する原子核から構成されています。電子は地球や月などと同様に自転をしていますが、この自転のことを電子スピンと呼びます。電子スピンの向きは固定されておらず、磁場などの外場との相互作用などにより変化します。
※3電子スピン共鳴
医療診断の手法として広く用いられるMRI(Magnetic Resonance Imaging)は、体内の核スピンの性質を可視化することで分析を行いますが、それに対して電子スピン共鳴は分析対象中の電子スピンの性質を明らかにします。
※4電子スピン共鳴装置
材料分析等に通常用いられる電子スピン共鳴装置は、マイクロ波共振器(金属製の空洞)とマイクロ波透過率の測定装置、および強力な電磁石から構成されます。対象となる試料はマイクロ波共振器に挿入します。共振器の中心周波数に固定したマイクロ波を共振器に照射し、印加する磁場の大きさを掃引しながらマイクロ波透過率を測定します。電子スピンのエネルギーは印加する磁場の大きさに対応して変化します。マイクロ波のエネルギーが電子スピンのエネルギーに共鳴した場合、マイクロ波透過率の大きさにピークが現れます。ここで現れたピークは電子スピンの情報を含んでいるので、ピークの位置(定性的な指標)と高さ(定量的な指標)を分析することで、材料の評価を行います。
※5窒素-空孔(NV)中心
NV中心はピンクダイヤモンドの色の起源と考えられている色中心です。ダイヤモンド格子中の炭素に置換した窒素(N)と、それに隣接する炭素が抜けてできた空孔(V)からなる複合不純物欠陥で、この欠陥に1個の電子が捕獲された状態に対して電子スピン共鳴の実験を行っております。
※6窒素-空孔(NV)中心の材料パラメータについての参考文献
比較対象の文献値として、通常の電子スピン共鳴装置での測定結果である、
J. H. N. Loubser & J. A.v. Wyk
Electron spin resonance in the study of diamond
Rep. Prog. Phys. 41, 1201–1248 (1978)
によるものを採用しました。今回比較した材料パラメータはg因子(g)ならびにゼロ磁場分裂(D)で、文献値のg = 2.0023 ± 0.005, D = 2.878 ± 0.006 GHzに対して、本研究ではg = 1.996 ± 0.013, D = 2.88071 ± 0.00087 GHzが得られ、よい一致を示しました。
図1 超伝導磁束量子ビットの電子顕微鏡写真。青色のループが超伝導量子ビット。
図2 電子スピン共鳴の概念図
図3 実験の概念図
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