2019年5月30日
日本電信電話株式会社
日本電信電話株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:澤田純、以下 NTT)は、座ったままの状態であたかも歩いたような感覚を作り出す技術を開発し、この擬似的な歩行感によってわれわれの脳内表現である自己の身体を取り囲む「身体近傍空間」を前方に拡張することを併せて明らかにしました。
本技術は、視覚や聴覚に加えて触覚や身体感覚の刺激を与えることにより、座っている体験者に擬似歩行感を生成するものです。足裏に振動刺激を与えることによって、実際に歩くことなく歩行したような感覚を生み出すことができることが分かりました。
本技術を用いることで、VR空間などにおいて多様な移動表現を実現できるようになります。今後、より臨場感の高い旅行体験や遠隔地にいる人と一緒に歩き回るような体験などを幅広い場面で活用できるように、本技術と既存のVRとの組み合わせを検討する予定です。
近年、高性能でありながら低廉なデバイスの登場によりVR技術はゲームやエンターテインメントの分野で注目を集めてきました。さらに、ビジネス向け市場でも応用分野が広がりつつあり、医療分野での外科手術の訓練、生産現場での作業員教育、建設現場での安全教育など、様々な業界で注目されています。VR体験のためのいわゆるVRデバイスでは頭部装着型ディスプレイ(HMD)による視覚への情報提示が中心ですが、日常生活ではわれわれは五感のあらゆる情報を身体を通じて接しているため、視覚だけでなく、複数の感覚への情報提示や、自己の運動感覚の生起が質の高いリアリティを生み出すためには不可欠と考えられてきました。
特にVR空間では利用者が歩いたり走ったりするような歩行・移動感覚の生成は大きな課題となっていました。実空間には空間の広さに制限のあるため、広さの制限のないVR空間を歩き回るには工夫が必要で、歩いた分の移動量を相殺するような手段が数多く提案されてきました。しかしながら、このような技術では利用者が実際に歩行することを前提としたもので、空間的あるいは身体的な制約により歩行が困難な利用者に対して適用することができませんでした。
NTT コミュニケーション科学基礎研究所は、座っていても歩いているような感覚の提示を実現する技術を開発しました。本技術によって、たとえば自宅のリビングに座ったまま、歩行したような感覚を移動範囲の制約を受けずに体験することができます。
座っている体験者に対して、視聴覚情報に加えて、足裏に触覚刺激を受容したとき、歩行時に生じるような振動波形や歩行周期・タイミングといった特徴が一致する刺激を足底に与えることで歩行感覚に近い感覚が生じることを明らかにしました。また、こうした刺激によって生成される歩行感は体験者の主観評定に加え、われわれの脳内表現である自己の身体を取り囲む「身体近傍空間」の定義が変わることからも実際の歩行時に似た特性をもつことが確認されました(図1)。
足底は歩行時に地面との相互作用を行うインタフェースであり、足底からの情報から地面の状態や材質を知覚できることが知られています。また、新生児の自立歩行反射が知られています。このような点から本技術では足裏に着目し、適切な振動刺激を与えることで歩行運動を想起させ、歩行状態を擬似的に再現することを試みています。
具体的には、歩行時に実際に生じた振動を歩行音として記録し、カットオフ周波数120Hzローパスフィルタ処理や増幅処理を経てボイスコイルモータ(振動子)で振動刺激として足裏に提示します。この歩行音の波形を正弦波に変えたり、歩行音の時間間隔を無作為化したりすると歩行感覚が生じないことも確認しました。
身体に接近してくるような音を聞いているとき、その音源が身体近傍にあるときには聴触覚間の感覚相互作用によって身体上の触覚検出課題に対する反応時間が短くなることが知られています。さらに、歩行中にはこの反応時間がさらに減少することが報告されています。本技術では、実際に歩行することなく、足裏への振動刺激のみによって反応時間がさらに減少することを世界で初めて明らかにしました。
本技術の効果を検証するため、次のような実験を実施しました。実験参加者の課題はペンダント型装置内のボイスコイルモータから胸部に提示された触覚振動刺激(閾上の強度で150Hzの正弦波)を検出し、できるだけ早くボタンを押すことを求めました。その際、装着したヘッドフォンからホワイトノイズの音源が直線上に等速運動で接近することを模擬した音圧レベルが変化した音が提示されました。その接近音が身体近傍あるいは遠方にあるとき胸部に振動刺激が提示されました。接近音が身体に近いときほど反応時間が小さくなると予想されます。スリッパの中敷きの踵の部分に組み込んだボイスコイルモータから、<1>歩行音振動、<2>歩行音振動を用いて左右の足へ非同期に歩行音振動、および<3>歩行音振動を振幅一定の正弦波の振動に置き換えた音(純音) のいずれかの振動波形を提示して実験を行いました(図2)。
その結果、身体へ接近する音が身体に近いときほど胸部に提示された反応時間が小さくなることが確認されました。さらに足への振動刺激によって受動的な状態で歩行感覚が生じたときに、すなわち、歩行音振動条件で最も接近音が身体から遠いときでも反応時間が減少することを確認しました(図3)。このことは、胸部付近の身体近傍空間がより身体前方に拡張したことを示唆しています。さらに、歩行音振動条件では他の条件と比較して主観的に高い歩行感覚が得られていたことから(図4)、歩行感覚の主観評定値の高さと身体近傍空間の前方への拡張との間に何らかの関係性があることが考えられます。
NTT コミュニケーション科学基礎研究所のオープンハウス2019では、足底に着目した本技術に加え、モーションチェアと組み合わせて前庭感覚や固有感覚・触覚といった複数の感覚の同期提示をすることでさらに臨場感を高めた擬似的な歩行感を体験できる実演展示を行います。
今回実現した技術について、今後、4D映画館やVRアミューズメント施設などでのVR空間内の歩行体験を高めるための要素技術として、本技術の応用の検討を進めます。さらに、歩く動作だけでなく、走る、スキップするなど多様な歩行感覚の表現を目指すとともに、体験者の足踏みなどの運動入力と連携して歩行感覚を生み出すための方法論の確立を目指します。
図1:成果の概要
図2:実験で用いた足底への振動刺激パターン
図3:足裏刺激ごとの触覚刺激に対する反応時間の変化
図4:足裏刺激ごとの歩行感の主観評定値
本件に関する問い合わせ先
日本電信電話株式会社
先端技術総合研究所 広報担当
TEL 046-240-5157
Email science_coretech-pr-ml@hco.ntt.co.jp
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