2021年2月 5日
国立大学法人東京工業大学
日本電信電話株式会社
東京工業大学 工学院 電気電子系の岡田健一教授らと日本電信電話株式会社の研究グループは、テラヘルツ帯(※2)で通信が可能なアクティブフェーズドアレイ無線機を世界で初めてCMOS集積回路により実現した。テラヘルツ帯は5Gの次の世代の無線通信システムでの利用が期待されており、今回の成果により実用化を大きく進展させることができた。
このテラヘルツ無線機は、安価で量産が可能なシリコンCMOSプロセス(※3)で製造したICで構成され、サブハーモニック型(※4)の双方向ミキサにより同じ回路を送信にも受信にも切り替えて利用することができる。液晶ポリマー基板(※5)上の銅箔にアンテナパターンを形成し、薄化したCMOS ICを実装したものを4層積層することでフェーズドアレイアンテナを構成した。
実験の結果、テラヘルツ帯での無線通信が可能であり、電波の放射方向を制御回路から操作できることを確認した。
研究成果の詳細は、2021年2月13日(米国太平洋時間)からオンライン開催される国際会議ISSCC 2021「International Solid-State Circuits Conference 2021(国際固体素子回路会議)」で発表する。
国内外で5G(※6)のサービスが開始され、史上初めてミリ波(※7)帯を用いる大規模商用サービスの利用が広がりを見せている。ミリ波帯無線通信の更なる高度化が必要とされる一方で、早くも5Gの先を見据えた無線通信に関する研究が活発に行われている。より高速・大容量な無線通信を実現するために、5Gにおけるミリ波帯よりもさらに10倍以上高い周波数帯であるテラヘルツ帯の利用が期待されている。テラヘルツ帯を用いることで大幅な通信速度の向上が期待できる。
ミリ波帯やテラヘルツ帯に共通する課題として、通信距離の確保が難しいことが挙げられる。通信に用いる搬送波周波数が高くなるほど、単一のアンテナによる通信可能な距離は周波数に反比例して短くなるためである。そのため、5Gでは、アンテナと送受信機を多数アレイ状に並べたアクティブフェーズドアレイ技術が用いられており、数百メートル以上の通信距離を確保している。アンテナ数を増やすほどに通信距離を比例して伸ばすことが可能である。
さらに高い周波数帯であるテラヘルツ帯では、よりフェーズドアレイ化への要求が強いが、周波数に比例して高密度にアンテナと送受信機を並べる必要があり、これまでテラヘルツ帯でのアクティブフェーズドアレイ技術による通信機は実現されていなかった。代替として、高利得な指向性アンテナが用いられてきたが、特定方向としか通信ができず、用途が限定されたものであった。このような背景から、テラヘルツ帯無線通信の実用化のために、フェーズドアレイの実現が強く求められていた。
フェーズドアレイでは、アンテナを半波長ピッチでアレイ状に配置する。5Gで用いる28GHz帯であれば5.4mm程度となり、一般に、プリント基板上にアンテナを縦横に配置する構成のものが用いられる。フェーズドアレイにはアクティブ型とパッシブ型がある。通信距離を伸ばすために、個々のアンテナにそれぞれ送受信機が接続されているアクティブ型のフェーズドアレイが用いられている。
300GHz帯ではアンテナピッチが0.5mmとなるため、非常に高密度な配置が要求される。CMOSチップ上にアンテナを内蔵するものもあるが、シリコン基板による損失が大きく、配線層が薄すぎるため、十分なアンテナ利得を確保できない。プリント基板上に高密度に配置されたアンテナに、同一ピッチで送受信機を配置する必要がある。
本研究では、アンテナの配置方法の工夫と、新たに考案したCMOSフェーズドアレイICによる高密度化により、テラヘルツ帯でのフェーズドアレイ無線機を実現した(図1、2)。
従来のテラヘルツ帯無線機では、送信機単体、受信機単体や、それらを単一CMOSチップ上に集積したものがあるが、面積が大きくなるのが問題であった。本研究成果では、双方向回路を用いることで、同じ回路を送信にも受信にも切り替えて利用することができる。従来のテラヘルツ帯のミキサ回路(※8)では、ダイオード型や逓倍器型のものが用いられており、送受信で別々のミキサ回路を用意する必要があった。本研究成果では、サブハーモニック型のミキサにより、双方向動作を実現した。
フェーズドアレイでは、送受信する信号の位相制御が必要である。本研究成果では、テラヘルツ帯でも広帯域動作が可能なLO移相方式を用いた。搬送波となる局部発振器(LO)の信号の位相を変化させるLO移相器(※9)を用いる。LO移相器を4逓倍器(※10)に前置することで、線形な移相特性を実現した。双方向増幅器を分布型とすることで広帯域化に成功し、送受信機全体として38GHzの非常に広い変調帯域(※11)を実現した。また、2系統ある信号経路(図中IF1とIF2)のそれぞれにLO移相器を設けることにより、送信時にはアウトフェージング構成(※12)、受信時にはハートレー構成(※13)とすることができる(図2)。アウトフェージング構成にすることで、理論値と比較して平均送信電力を約5dB向上することができた。
図1 テラヘルツフェーズドアレイ無線機のチップ写真
図2 テラヘルツフェーズドアレイ無線機の回路構成
特殊な製造技術を利用せず、安価で量産を可能とするために、現状の5Gと同じくプリント基板上にテラヘルツ帯フェーズドアレイを構成する方法を考案した(図3)。液晶ポリマー基板上の銅箔にアンテナパターンを形成し、薄化したCMOS ICを実装したものを4層積層することでフェーズドアレイアンテナを構成した。各アンテナ素子はビバルディ型(※14)とした。
本開発品のテラヘルツフェーズドアレイICは65nmのシリコンCMOSプロセスで試作し、1.70mm×2.45mmの小面積にフェーズドアレイ送受信機を搭載した。ICに搭載した制御回路から移相器を操作し、アンテナ放射パターンを測定したところ、位相の設定値にあわせてビームステアリング(※15)ができていることを確認できた(図3)。消費電力は送信時・受信時ともに0.75Wである。次に変調波による評価を行った。QPSK(※16)から16QAM(※17)の変調方式に対応可能であり、242-280GHzの変調帯域を有する。送信機の最大変調速度は52Gb/sであった(16QAM時)。
図3 液晶ポリマー基板上に作成した積層型フェーズドアレイアンテナ
本研究成果によりテラヘルツ帯でもアクティブフェーズドアレイの利用が可能となった。アレイ数を増やすことにより通信距離を比例して伸ばすことができるので、テラヘルツ帯の無線通信で問題となっていた通信距離の問題が解決できる。これまでのテラヘルツ帯無線通信では指向性アンテナが用いられてきたが、今後はミリ波帯同様にアクティブフェーズドアレイによるものが主流になっていくと考えられる。
今回は1次元アレイによる実証であったが、プリント基板上にアンテナパターンを並べて配置し、それをさらに積層することで2次元アレイの実現も可能であり、今後はより高密度なフェーズドアレイを実証し、テラヘルツ帯無線通信の実用化に向けて研究開発を推進する。
※1フェーズドアレイ
複数のアンテナへ位相差をつけた信号を給電する技術。ビームステアリング(※15)の実現に利用される。フェーズドアレイには、アクティブ型とパッシブ型があり、アクティブ型では各アンテナに対して増幅器が接続されているが、パッシブ型では各アンテナに接続されているのは移相器(※9)のみである。パッシブ型の方が容易に実現できるが、通信距離を伸ばすためにはアクティブ型のフェーズドアレイが必要である。
※2テラヘルツ帯
5G(※6)等で用いられるミリ波(※7)帯より高い周波数帯で300GHzから3000GHz(3THz)の周波数帯。テラヘルツ帯を用いる通信規格としてはIEEE802.15.3d(※18)が知られている。IEEE802.15.3dでは252-325GHzの周波数帯を用いるため、252-300GHzの周波数帯も含めて広義にテラヘルツ帯を呼ばれることが多い。
※3シリコンCMOSプロセス
CMOSプロセスはN型とP型のMOSFET(金属酸化膜半導体電界効果トランジスタ)を相補的に用いた集積回路であり、バイポーラプロセスと比較し消費電力の削減と高い集積率を実現したプロセスである。近年の集積回路はほぼCMOSプロセスとなっている。
※4サブハーモニック型
低調波。高調波が所望信号のn倍の周波数を示すのに対して、低調波は1/n倍の周波数を示す。例えば、搬送波周波数が300GHzのサブハーモニック型のミキサ回路(※8)では150GHzの信号により周波数変換を行う。
※5液晶ポリマー基板
フレキシブルプリント基板材料の一種で、高周波での損失が少なく、5G向け等の用途で利用が広がっている。
※65G
第5世代移動通信システム。これまでの第4世代移動通信システム(4G)では、6GHz程度までの限られた帯域の周波数範囲を使用していたが、5Gではミリ波帯もあわせて利用するようになり、10Gbps(ギガビット/秒)以上の通信速度でのサービスが計画されている。
※7ミリ波
波長が1~10mm、周波数が30~300GHzの電波。自動車レーダで使われる24GHz帯や、5Gで使われる28GHzのように近傍周波数である準ミリ波帯も、広義にミリ波と呼ばれることがある。
※8ミキサ回路
無線トランシーバにおいて、送信するために所望の周波数帯まで周波数を上げたり、受信のために中間周波数帯まで周波数を下げたりする回路。
※9移相器
入力信号に対して、位相が一定量増減した信号を出力する回路。位相の変化量はデジタル信号や電圧により制御可能なものもあり、ビームステアリング(※15)の実現に利用される。
※10逓倍器
入力された信号の周波数を整数倍して出力する回路。4逓倍器では4倍の周波数に変換して出力する。
※11変調帯域
変調信号を送受信するために使う周波数の領域。本開発品では242GHzから280GHzの周波数帯を用いる。広いほど高速な通信が可能。
※12アウトフェージング構成(Outphasing)
振幅の等しい2つの信号を異なる位相で合成することで振幅および位相の変調を行う方式。Linear Amplification with Nonlinear Components (LINC)とも呼ばれる。通常、アウトフェージング方式は電力効率の改善を目的に利用されるが、本研究では変調時の平均電力の向上のために利用している。
※13ハートレー構成(Hartley)
ハートレー型のイメージ除去受信機を意味する。位相の直交した2つの局部発振信号を用いることにより、不要波であるイメージ信号を抑圧することができる。
※14ビバルディ型(Vivaldi)
ビバルディアンテナはアンテナ部が指数関数型の曲線形状を持つ平面アンテナの一種で、広帯域かつ高利得が実現できる。
※15ビームステアリング
アンテナの指向性パターンを制御する技術。通常、フェーズドアレイ(用語1)を用いて電気的に制御する。
※16QPSK
Quadrature Phase Shift Keyingの略。搬送波の4つの位相を用いる変調方式。
※1716QAM
16 Quadrature Amplitude Modulationの略。搬送波の振幅および位相変化の16値を用いる変調方式。
※18EEE802.15.3d
IEEE(米国電子電気学会)において標準化された300GHz帯の無線規格。
この成果は2021年2月13日(米国太平洋時間)からオンライン開催される国際会議ISSCC 2021「2021 IEEE International Solid-State Circuits Conference:2021年米国電気電子学会 国際固体素子回路会議」における講演セッション「Session 22 - Terahertz for Communication and Sensing」において、「A 300GHz-Band Phased-Array Transceiver Using Bi-Directional Outphasing and Hartley Architecture in 65nm CMOS(65nm CMOSによる双方向型アウトフェージング・ハートレー方式による300GHz帯フェーズドアレイ無線機)」の講演タイトルで、現地時間2月17日午前8時38分から発表される。
講演セッション: Session 22:Terahertz for Communication and Sensing
講演時間: 現地時間2021年2月5日午後5時より講演ビデオが視聴可能
現地時間2021年2月17日午前8時38分より質疑
講演タイトル: A 300GHz-Band Phased-Array Transceiver Using Bi-Directional Outphasing and Hartley Architecture in 65nm CMOS (65nm CMOSによる双方向型アウトフェージング・ハートレー方式による300GHz帯フェーズドアレイ無線機)
会議Webサイト:http://isscc.org/
問い合わせ先
東京工業大学
工学院 電気電子系 教授
岡田 健一(おかだ けんいち)
TEL:03-5734-3764
FAX:03-5734-3764
Email:okada@ee.e.titech.ac.jp
取材申し込み先
東京工業大学
総務部 広報課
TEL:03-5734-2975
FAX:03-5734-3661
Email:media@jim.titech.ac.jp
日本電信電話株式会社
先端技術総合研究所 広報担当
TEL:046-240-5157
Email:science_coretech-pr-ml@hco.ntt.co.jp
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