2023年2月 6日
日本電信電話株式会社
国立大学法人静岡大学
国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)
日本電信電話株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:島田 明、以下「NTT」)と国立大学法人静岡大学(本部:静岡県静岡市、学長:日詰 一幸)は、超伝導磁束量子ビット※1により、世界で初めて単一細胞相当の空間分解能で神経細胞中の鉄イオンの検出に成功しました。
本研究では、10マイクロメートル程度の大きさの超伝導磁束量子ビットを用いることで、細胞中の鉄イオンの検出・定量が可能なことを実証しました。今回は単一細胞相当での検出に関する原理実証を行いましたが、今後は、細胞組織内でのイオン分布の可視化などへの応用も期待されます。
これにより生体試料の分析に応用範囲を広げることで、細胞単位での空間分解能で微量金属元素が分析可能になると期待され、高精密病理検査の実現へ寄与します。
本研究は、2023年2月6日、英国科学誌Communications Physicsに掲載されます。
図1 本研究概要。
鉄は人体に最も多く含まれる微量金属元素で、その酸化・還元状態を知ることは酸素運搬や電子伝達系の理解に重要です。また、アルツハイマー病などの病変による細胞への沈着といった病理学的な観点でも重要な役割を果たします。細胞中の金属イオンの分析手法のひとつとして電子スピン共鳴※2が挙げられます。電子スピン共鳴スペクトルの分析により金属イオンの酸化・還元状態などの詳細な情報が得られる一方、分析には1013個以上の電子スピンを含むミリリットル単位の試料が必要で細胞単位での分析や組織内での金属イオンの分布を調べることは困難でした。
研究グループはこれまで結晶中の不純物を超伝導磁束量子ビットで検出し、さらに電子スピン共鳴により不純物元素の同定を行ってきました。この手法は1秒の積算で20スピンを検出できる感度と、数マイクロメートルの空間分解能を持つため、生体試料の分析に応用範囲を広げることで、細胞単位での空間分解能で微量金属元素が分析可能になると期待されます。
研究グループは、超伝導磁束量子ビットを高感度磁場センサとして用い、超伝導磁束量子ビット基板に貼り付けた神経細胞の磁化※3を測定しました(図1)。また、磁化測定と電子スピン共鳴の結果を組み合わせ、磁化の起源が細胞中の鉄(III)イオンであることを同定しました。磁化測定の結果から含まれる鉄の定量も可能で、乾燥した細胞1グラム中に鉄が6マイクログラム含まれるという、先行研究と矛盾しない結果を得ました。
本結果より、生体試料の分析に応用範囲を広げることで、細胞単位での空間分解能で微量金属元素が分析可能になると期待され、高精密病理検査の実現へ寄与します。
なお本研究では、研究方針策定・生体試料の作製と超伝導磁束量子ビットによる測定をNTTが行い、電子スピン共鳴によるスピン種の同定などを静岡大学が行いました。
(1) 超伝導磁束量子ビットを高感度・高空間分解能磁場センサとして利用しました。このセンサは20個の電子スピン(鉄イオン)を検出可能な感度を持ち、そのサイズ(典型的には10から数マイクロメートル角程度)で決まる空間分解能を持ちます。
(2) 生体試料(神経細胞)を生体適合性があり薄い絶縁材料であるパリレン※4の上に培養しました。今回用いたパリレン膜の厚さは2マイクロメートルで、超伝導磁束量子ビットを生体試料から電気的に絶縁しつつ、距離を近づけることにより高い感度を保つことが可能です(図4)。
今回の成果により、単一細胞相当の空間分解能で生体試料の磁化の検出と定量が可能になりました。今回は、磁化の起源が鉄イオンであることを示すために、従来型の装置によりミリリットル単位の試料に対する電子スピン共鳴スペクトルを取得しました。今後は、細胞単位で電子スピン共鳴スペクトルを取得し、従来型の電子スピン共鳴装置※5なしでイオンの種類を同定することをめざします。
また、同時に磁場センサの感度と空間分解能のさらなる改善を行い、単一電子スピンの検出が可能なデバイスを開発します。高感度・高精度センサの開発に貢献することで、より高度な生体検査とそれを基にした高度な治療が可能となる社会の実現をめざします。
超伝導量子ビットにはいくつかの種類が存在しますが、本研究では超伝導磁束量子ビットを用いて測定を行いました。超伝導磁束量子ビットは、設計パラメータを調整することによって磁場への感度を高めることが可能で、磁化測定に適した量子ビットです。超伝導磁束量子ビットを作製したシリコン基板に神経細胞を貼り付け、極低温で磁化の測定を行いました。神経細胞は超伝導磁束量子ビットの動作に影響を与えないように絶縁膜(パリレン)上に培養しました。
試料の磁化は電子スピンの揃い具合に対応します。試料に不対電子※6が含まれる場合、外部から磁場を印加すると、低温ではスピンが一方向に揃い磁化が大きくなり、高温ではスピンの向きがばらばらで磁化が小さくなるという性質があります。そこで、試料に磁場を印加し、温度を変えながら超伝導磁束量子ビットを用いて磁化を測定しました。図2(a)(丸で示した点)の測定結果は、一定の磁場(10ミリテスラ)を外部から印加し、試料の温度を変えたものです。試料中の電子スピンの揃い具合に対応して、温度の低下と共に超伝導磁束量子ビットで検出した磁束の値が増加している様子がわかります。試料が磁化することによって生じる磁場を超伝導磁束量子ビットは磁束として検出します。また、試料の磁化は、外部から印加する磁場の増加と共に大きくなる性質があります。図2(b)は、異なる磁場に対して超伝導磁束量子ビットを用いて磁化を測定した結果ですが、外部から印加する磁場の増加と共に試料の磁化も大きくなることがわかります。これらの結果より、試料中に不対電子が存在することがわかりました。
ここまでの実験でパリレン膜上に培養した神経細胞から磁化が生じることがわかりました。しかし、その起源が神経細胞なのか、パリレン膜なのか、もしくはその両者なのかを区別することはできません。たとえば、絶縁膜として用いたパリレンは、通常の状態では不対電子を持たないものの、電子線照射などにより不対電子が生じると磁化を示すことが知られています。そこで、参照実験としてパリレン膜単体の磁化測定(図2(a)、三角で示した点)を行い、パリレン膜上に培養した神経細胞の磁化測定の結果と比較しました(図2(a))。その結果、パリレン膜由来の磁化は神経細胞によるものより十分小さく、磁化は主に神経細胞から生じることがわかりました。
図2 (a) 10ミリテスラの磁場下において超伝導磁束量子ビットを用いて検出した磁束の温度変化。(b)異なる磁場下において超伝導磁束量子ビットを用いて検出した磁束の温度変化。
神経細胞の中には複数の種類の金属イオンが含まれますが、ここまでの実験ではそれらを区別することができません。そこで、超伝導磁束量子ビットで測定した試料と同じ条件で培養した神経細胞を従来型の電子スピン共鳴装置で測定し、電子スピン共鳴スペクトルを取得しました(図3)。電子スピン共鳴スペクトルには、g因子※79.8および4.3にピークが現れています。これは、鉄(III)イオンに特徴的なスペクトルであり、磁化の起源が主に神経細胞中の鉄(III)イオンであることがわかります。また、g因子2.0付近の小さなピークは銅イオンなど他の金属イオンに由来すると考えられます。
図3 神経細胞の電子スピン共鳴スペクトル。緑矢印がg因子9.8、赤矢印がg因子4.3、青矢印がg因子2.0のピーク。
磁化の大きさと含まれる不対電子の数は1対1に対応します。ここから、試料にどのくらいの量の鉄が含まれるかを推定することができます。研究グループで行った先行実験の結果から磁化を鉄イオンの数(鉄イオンの質量に対応)に変換し、それを超伝導磁束量子ビットが磁化を検出する体積(測定した細胞の重量に対応)で割ることで、乾燥した細胞1グラムあたり6マイクログラムの鉄が含まれているとわかりました。この結果は、他グループが多数の細胞を用いて測定した平均値と矛盾しないものです。超伝導磁束量子ビットの検出体積中には単一あるいはごく少数の神経細胞しか含まれていません。今回の結果より、そのような少数の細胞に対しても含まれる金属イオンの定量が可能なことが示されました。
図4 作製したパリレン膜とその上で培養した神経細胞
本研究の一部は科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「量子状態の高度な制御に基づく革新的量子技術基盤の創出(研究総括:荒川泰彦)」研究課題「超伝導量子ビットを用いた極限量子センシング(研究代表者:齊藤志郎)」(No.JPMJCR1774)の支援を受けて行われました。
掲載誌: Communications Physics
論文タイトル: "Magnetometry of neurons using a superconducting qubit"
著者: Hiraku Toida, Koji Sakai, Tetsuhiko F. Teshima, Masahiro Hori, Kosuke Kakuyanagi, Imran Mahboob, Yukinori Ono, and Shiro Saito
1.超伝導磁束量子ビット
超伝導ループを含む超伝導回路により構成される量子ビットで、その特性は超伝導ループを貫く磁場で制御することができます。本研究では、鉄イオンに由来する磁場が超伝導ループを貫き、量子ビットの特性を変化させることを磁場センサとして利用しています。
2.電子スピン共鳴
医療診断の手法として広く用いられるMRI(Magnetic Resonance Imaging)は、体内の核スピンの性質を可視化することで分析を行いますが、それに対して電子スピン共鳴は分析対象中の電子スピンの性質を明らかにします。
3.磁化
電子スピンを含む物質に磁場を印加した際に、電子スピンの向きが揃い磁石としての性質を持つようになる現象を指します。
4.パリレン
直鎖状の結晶構造を持つパラキシリレン系高分子で、高い絶縁性に加え湿気や化学物質のバリア性を有します。さらに耐熱性、耐紫外線性に優れるだけでなく、高い生体適合性を有することから、コーティング剤として、医療をはじめとした幅広い産業分野で利用されています。
5.電子スピン共鳴装置
材料分析などに通常用いられる電子スピン共鳴装置は、マイクロ波共振器(金属製の空洞)とマイクロ波透過率の測定装置、および強力な電磁石から構成されます。対象となる試料はマイクロ波共振器に挿入します。共振器の中心周波数に固定したマイクロ波を共振器に照射し、印加する磁場の大きさを掃引しながらマイクロ波透過率を測定します。電子スピンのエネルギーは印加する磁場の大きさに対応して変化します。マイクロ波のエネルギーが電子スピンのエネルギーに共鳴した場合、マイクロ波透過率の大きさにピークが現れます。ここで現れたピークは電子スピンの情報を含んでいるので、ピークの位置(定性的な指標)と高さ(定量的な指標)を分析することで、材料の評価を行います。
6.不対電子
原子や分子に含まれる電子のうち、ペアを構成していない電子を指します。不対電子を含む分子などは化学的な活性が高く、磁性を持ちます。不対電子を含む分子などの性質は電子スピン共鳴によって測定することができます。
7.g因子
電子スピン共鳴スペクトルから得られるパラメータで、物質中の不対電子の状態を知るために重要な値のひとつです。物質中の不対電子のg因子は、ほかの電子や原子核などとの相互作用により自由電子の値(2.0023193)からのずれが生じます。このずれは物質特有のものであり、分子の構造や含まれる元素などを反映したものとなります。
本件に関するお問い合わせ先
日本電信電話株式会社
先端技術総合研究所 広報担当
nttrd-pr@ml.ntt.com
国立大学法人 静岡大学
総務部 広報・基金課
koho_all@adb.shizuoka.ac.jp
国立研究開発法人 科学技術振興機構
広報課
jstkoho@jst.go.jp
<JST事業に関すること>
国立研究開発法人 科学技術振興機構
戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ
嶋林 ゆう子
crest@jst.go.jp
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