2024年1月16日
日本電信電話株式会社
日本電信電話株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:島田 明、以下「NTT」)とCEA-Saclay、国立研究開発法人物質・材料研究機構、韓国科学技術院は共同で、グラフェン中を伝播する電子の軌道を量子的に操作することにより、世界で初めて電子の飛行量子ビット動作を実証しました。電子の飛行量子ビットでは、電子間の相互作用を利用することによる量子もつれ対(※1)のオンデマンド生成・配送が可能となると期待されています。将来的には空間的に離れた量子コンピュータの接続や量子通信への応用などをめざします。
本成果は、2023年12月15日米国科学誌 Science に掲載されました。
図1:電子の飛行量子ビットのイメージ図。グラフェンp-n接合の両側に形成された2本の1次元チャンネル(青色および赤色矢印)を伝播する軌道の量子的重ね合わせ状態(※2)を制御することで量子ビットとして動作させる。単一電子を左上から入射し、p-n接合の入口と出口に形成されたビームスプリッタで、電子の軌道を分岐・干渉させる。
量子力学の原理を利用した量子コンピュータは、超伝導回路を用い研究が進展していますが、それとは異なる方式として光子の飛行量子ビット(※3)を用いた研究も行われています。飛行量子ビットとは、空間的に配置された素子に量子を通過させることで演算が行われる量子ビットです。飛行量子ビットを用いることにより、空間的に離れた量子コンピュータの接続が可能となります。また、原理的に大規模化可能な量子コンピュータの構築も期待されています。
光子ではなく、固体素子中を伝播する電子の飛行量子ビット実現に向けた研究も行われており、電子間の相互作用を利用することによる量子もつれ対のオンデマンド生成が可能となることが理論的に指摘されています。電子の飛行量子ビット研究は20年ほど前から行われており、高移動度ガリウム砒素半導体中に電子のマッハ・ツェンダー干渉計(※4)を形成し、そこに単一電子を入射することで、その軌道を量子的に操作することをめざした方式が最も広く研究されています。この方式で要求される要素技術は、マッハ・ツェンダー干渉計を形成するための電子のビームスプリッタと散逸の少ない1次元伝導チャンネル、および単一電子源です。これらの要素技術は確立されているものの、従来型干渉計では複雑な構造と低い安定性によって電圧パルスにより発生する熱・電圧に耐えられない課題がありました。また、単一電子源においては、入射する電子のエネルギーが毎回微妙に異なるため、干渉結果が変わってしまう課題がありました。そのため、これまでは電子の飛行量子ビットの実現には至っていませんでした。
・グラフェン中に形成したマッハ・ツェンダー干渉計とレビトンと呼ばれる単一電子源を組み合わせることにより、電子の飛行量子ビット動作を実証しました。
グラフェンと六方晶窒化ホウ素(※5)、金属電極を積層し、微細加工することでグラフェンp-n接合(※6)および電気測定用電極を作製しました。p-n接合の入口と出口に作製した微小なゲート電極でビームスプリッタの透過/反射率を制御することにより、マッハ・ツェンダー干渉計を形成しました(図2)。
ローレンツ波形の電圧パルスを電極に印可することにより、余分な電子-正孔励起を伴うことなく単一電子だけをフェルミエネルギー(※7)上に生成可能であり、このようにして生成された単一電子をレビトンと呼びます。ローレンツ波形電圧パルスは、複数の高調波を足し合わせることで生成しました。これを実現するために、グラフェン電極上での高調波の強度、位相を精密に制御しました。
共同研究グループは、グラフェンp-n接合を用いた電子のマッハ・ツェンダー干渉計(技術のポイント1)とレビトンと呼ばれる単一電子源(技術のポイント2)を組み合わせることにより、従来の実験の問題を克服しました。p-n接合を有するグラフェンに磁場を印加すると、電流チャンネルはp-n接合を取り囲むように形成されます。この時、p-n接合の入口と出口が電子のビームスプリッタとして動作し、電子のマッハ・ツェンダー干渉計となります(図2)。このグラフェンを用いたマッハ・ツェンダー干渉計では、これまでのガリウム砒素半導体を用いたものと比べて、量子干渉性(※8)が失われてしまう温度および電圧が一桁向上することを確認しています。また、レビトンはグラフェンの電極にローレンツ波形の電圧パルスを印加することでフェルミエネルギー上に生成され、高いエネルギーの電子を励起する量子ドットなどを使った従来方法と比べて大幅にエネルギーの揺らぎを抑えることが可能です。
図2:グラフェンp-n接合を用いた電子のマッハ・ツェンダー干渉計。n型領域(水色)を伝播する軌道を|0>、p型領域(ピンク色)を伝播する軌道を|1>とし、それらの量子的重ね合わせを制御することで量子ビットとして動作させる。|0>と|1>の存在確率(ブロッホ球(※9)のθ)および位相差(ブロッホ球のφ)を、それぞれ入口側のビームスプリッタ透過率、磁場の大きさで制御する。
電子の飛行量子ビット動作の実証は、レビトンを干渉計に入射し、グラフェンのn側を伝播する状態|0>とp側を伝播する状態|1>の量子的重ね合わせを制御することで得られました。入り口側のビームスプリッタの透過率を変化させることで|0>、|1>の存在確率(ブロッホ球のθ)を制御し(図3)、干渉計を貫く磁束量子の本数を変化させることで|0>、|1>の位相差(ブロッホ球のφ)を制御することで(図4)、任意の量子重ね合わせ状態を実現可能であることを示しました。電子の飛行量子ビットは量子情報を固体素子中で伝送できるという点で既存の量子ビットとは本質的に異なる機能を有しており、特に量子もつれ対のオンデマンド生成等への発展が期待されます。
図3:干渉計の入口側のビームスプリッタを調整してθを変化させたときのレビトンシグナルの変化。θ=90°に近づくにつれ、出口側のビームスプリッタでレビトンがランダムに散乱されることによる電流ノイズが増大する。実験結果(赤丸)は理論曲線(青線)とよく一致している。
図4:ビームスプリッタを固定し、磁場を精密に制御することでφを変化させたときのレビトンシグナルの変化。φ=0°に近づくにつれ、電流ノイズが増大する。実験結果(青丸)は理論曲線(赤線)とよく一致している。
電子の飛行量子ビット動作を初めて実証した今回の成果は、固体素子中の量子情報伝送に関してブレークスルーとなるものです。今後研究を発展させ、理論的に提案されている2量子ビット操作による量子もつれ対のオンデマンド生成をめざすとともにレビトンの短パルス化等、多量子ビット化に向けた技術を開発していきます。これにより、空間的に離れた量子コンピュータの接続や量子通信への応用などをめざします。
掲載誌:Science
論文タイトル:Emission and coherent control of Levitons in graphene
著者:A. Assouline, L. Pugliese, H. Chakraborti, Seunghun Lee, L. Bernabeu, M. Jo, K. Watanabe, T. Taniguchi, D. C. Glattli, N. Kumada, H.-S. Sim, F. D. Parmentier, and P. Roulleau
※1量子もつれ対
量子もつれとは、複数の量子間に古典論では説明できない強い相関がある状態である。量子もつれ対は空間的に離れた場所にあっても、一方の状態を測定すればもう一方の状態も確定するといった性質があり、量子情報処理や量子通信への応用が可能。
※2量子的重ね合わせ状態
量子力学の基本的な性質の1つで、どちらに存在するか確定しない状態のこと。量子コンピュータでは、量子力学の重ね合わせの原理を利用することで、「0」と「1」のどちらの値も同時にとることができる量子ビットを計算に用いる。
※3光子の飛行量子ビット
https://group.ntt/jp/newsrelease/2023/03/06/230306b.html
※4マッハ・ツェンダー干渉計
光学実験で一般的に用いられている2つのビームスプリッタで構成された干渉計。1つ目のビームスプリッタで光子(今回の実験では電子)を2方向に分け、2つの経路の位相差に応じた干渉の結果、2つ目のビームスプリッタを通した出力が変化する。
※5六方晶窒化ホウ素
窒素とホウ素原子が平面原子層を形成し、それが弱く層状に重なることによりなる層状化合物。絶縁性の二次元材料であり、グラフェンなどの二次元材料に対する良好な絶縁体として使用されている。
※6グラフェンp-n接合
一般的な半導体におけるp-n接合とは異なり、グラフェンではバンドギャップがないため、p領域とn領域が空間的に接した特殊なp-n接合が形成される。
※7フェルミエネルギー
電子をエネルギーの低い順に詰めていった時の一番上のエネルギー。
※8量子干渉性
量子は波としての性質も持ち、干渉する。ただし、外部との相互作用などにより量子の位相が乱れると干渉性は失われてしまう。
※9ブロッホ球
量子ビットの状態を表すために一般的に用いられる。θは|0>、|1>の存在確率、φは|0>、|1>の位相差に対応する。
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