2024年8月21日
日本電信電話株式会社
発表のポイント:
日本電信電話株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:島田 明、以下「NTT」)は、強いレーザー光を使って光の波長(※1)を変換する過程である「高次高調波発生(※2)」において、これまで制御が困難であった偏光、波面形状の同時制御に世界で初めて成功しました(図1)。今回、波長変換を起こす固体結晶中の「対称性(※3)」と呼ばれる原子配列の規則性を活かすことでこれを可能にし、さらに発生する光の偏光と波面形状を制御するための基本的な指針である光の変換法則を発見しました。本成果は、将来の分光、レーザー加工、光ピンセット、光通信など様々な分野の光技術での新たな応用につながると期待されます。
本研究成果は、2024年8月2日に米国科学誌「Science Advances」のオンライン版に掲載されました。本研究の一部は独立行政法人 日本学術振興会 科学研究費助成金の助成を受けて行われました。
図1 強い赤外レーザー光(図左)から固体結晶(図中央)中での波長変換を通して、様々な波長において選択的な偏光、波面形状を持った光(図右)が同時に発生される様子
レーザー光のもつ色(波長、周波数)、強度、位相、偏光、波面形状といった重要なパラメータ(※1)の制御は、光通信をはじめとして科学、産業、医療の非常に広い分野への応用を生んできました。近年は強いレーザー光を照射した際の物質の光応答の研究が進み、レーザー加工や波長変換の技術につながっています。波長変換は目的に応じた波長のレーザー光を作り出すために重要な技術であり、そうした研究の最先端で注目されているのが、「高次高調波発生」という、2023年にノーベル賞を受賞したアト秒光パルス発生(※4)の原理にもなっている波長変換過程です。
NTT物性科学基礎研究所(以下、NTT物性研)では高次高調波発生の研究に長年取り組み、発生する高調波を制御することで、将来の精密な光計測や高速な光デバイスなどにつながるような新しい光技術を模索してきました。これまで高調波の短パルス化、短波長化、高出力化により、光の周波数、強度、位相といった光のパラメータの制御を実現してきましたが、さらに残りの重要な光のパラメータである偏光や波面形状を制御することで高次高調波のすべてのパラメータの制御をめざしています。しかし、高次高調波発生においてレーザー光の偏光、波面形状がどのように変換されるのかについて統一的な指針となる理解はなく、それらの制御が課題でした。
レーザー光の偏光や波面形状を特徴づける方法として、それぞれ円偏光(※5)や光渦(※6)と呼ばれる光の状態に着目しました(図2)。今回は、固体結晶の対称性(※3)をうまく利用して円偏光から光渦を作成することで、高次高調波発生で変換される偏光と波面形状の同時制御に成功しました。そして、それらの変換ルールが固体の対称性を反映して決まる汎用的な法則の上に成り立っていることを明らかにしました。
図2 通常のビーム(図左)と光渦(図右)の波面とスクリーンに当てた際のビーム断面の強度分布
波長変換によって発生する光を望みの特徴をもった偏光や波面形状に制御したい場合、「対称性」に注目することが良い手段です。レーザー光を形作っている電磁波と固体結晶の時間・空間的な形を特徴づける「動的対称性(※3)」に着目すると、波長の変換前後で偏光や波面形状の規則性を保ったまま高調波発生を行うことが可能です。
2次や3次よりさらに高次の高調波発生を起こすために従来主要な媒質として利用されてきたのが気体です。ただし、気体中では球状の原子がばらばらの状態で空間に浮かんでいるだけであり、気体の種類を変えても高調波の偏光や波面形状を定性的に変化させるような制御は不可能でした。今回は近年注目を集めている固体結晶を用いることで、固体中の規則的な原子配列に起因する対称性を利用した光の制御を行いました(図3)。それぞれの固体のもつ分類された規則性は、単純な法則で決まる様々な偏光や波面形状の選択的生成を可能にします。
図3 高次高調波発生における媒質の違い・気体と固体では形状の規則性(対称性)が異なる
固体高次高調波発生において比較的制御が簡単な円偏光だけでなく、光渦状態まで同時制御できる光学実験系を考案しました。円偏光のガウシアンビーム(※8)を厚い一軸性結晶(※9)に短い焦点距離のレンズで集光(タイトフォーカス)すると光渦の光成分を発生し、特殊な偏光状態の空間分布を物質内で実現できることに着目しました(図4)。この現象はタイトフォーカスによって結晶の厚み方向に対して斜め入射するビームの成分が複屈折(※7)を起こすことに起因します。これにより通常は特殊な光学素子を必要とする光渦の生成を簡便に行いつつ、同じ固体結晶中で高次高調波発生を起こすことができます。また、偏光、波面形状が固体結晶と合わせて1つの対称性で特徴づけられる状態を作ることで、発生する高調波の偏光と波面形状の同時制御を実現し、偏光、波面形状と次数の関係性を決める単純な変換法則(等式)を導くことができます。
図4 固体結晶にタイトフォーカス(焦点距離の短いレンズで集光)された光が作る偏光状態
固体結晶において高次高調波発生を起こし、変換される様々な波長の光の円偏光や光渦の状態の制御が実現していることを観測により明らかにしました。
波長2500nmの強い赤外フェムト秒レーザー光(※10)の円偏光ガウシアンビームを発生し、1軸性結晶である2mm厚のセレン化ガリウム(GaSe)結晶に6mmの焦点距離のレンズを用いて集光することで高次高調波発生を起こしました(図5)。集光したレーザー光の周波数の何倍も高い周波数に対応する、赤や橙や青の光を偏光成分ごとに分解した後、発生した光をカメラで撮影することで高調波のビームの空間形状を確認しました。その結果、赤、橙、青などの様々な波長の高調波が得られ、その波長、偏光成分に依存したビームの空間形状が観測されました(図6)。タイトフォーカスをするとき、しないときを比較すると固体結晶と相互作用する赤外光の偏光の空間分布に違いがあるために、現れる高調波の空間形状が大きく異なります。タイトフォーカスしない際には次数と偏光に対する従来から知られた法則に従って高調波が発生しており、そこには通常のビームの断面形状しか現れません。一方でタイトフォーカスした際にはドーナツ状やかざぐるま状のビームの断面形状が観測されました。ドーナツ形状(3次)は1つの光渦の状態、風車(4次)は異なる複数の光渦が同時に発生していることを示しています。これらの観測結果は今回導いた1つの変換法則に従って同時制御された選択的な円偏光、光渦状態であることが明らかになりました。
図5 高次高調波発生のための光学実験系
図6 撮影された高調波のビームの空間形状(片方の円偏光状態の成分の高調波のみ示す)と変換法則
今回見出した法則は、固体結晶を用いてレーザー光の波長を変換するときにどのような偏光や波面形状の特徴をもつ光が発生するのかを決められる汎用的な法則であり、基礎的な光技術の発展に重要な発見です。また具体的な応用例として、通常のレーザー技術では得るのが難しい紫外領域の波長をもつ光渦を高次高調波発生によって得ることで、波長の短さに起因する微小空間への高い集光性能を利用した微小物体の光操作(光ピンセット)や顕微分光技術、レーザー加工、光通信の高度化などへの新しい応用が期待されます。
雑誌名:「Science Advances」(オンライン版:2024年8月2日)
論文タイトル:High harmonic spin-orbit angular momentum generation in crystalline solids preserving multiscale dynamical symmetry
著者:Kohei Nagai*, Takuya Okamoto, Yasushi Shinohara, Haruki Sanada, and Katsuya Oguri (5名)
※1.レーザー光のパラメータ(波長など)
レーザー光は電磁波であり、強度、色(波長、周波数)、位相、偏光、波面などそれを特徴づけるパラメータを持っています。レーザーの色は、波の山と山の距離に対応する波長またはその逆数の関係にあり1秒間に波が振動する回数である周波数で決まります。波の山が時間的にどの位置があるかを示す量を位相といいます。直進するビームに対して垂直な2次元面内の方向に電場、磁場が振動しており、その振動する向きを偏光といいます。光の波の位相が等しい点を空間的に結んだ面のことを波面とよび、通常のビームの波面は進行方向と垂直な平面の形を持ちます(図2)。これらの基本的な光のパラメータのうち、例えば周波数の精密制御はNTT物性研で取り組んでいる重要な研究の1つです。
過去の関連ニュースリリース URL:
https://group.ntt/jp/newsrelease/2020/03/18/200318a.html
(超高精度光周波数の遠隔地間伝送)
https://group.ntt/jp/newsrelease/2023/07/21/230721a.html
(光周波数コムの安定化)
※2.高次高調波発生
高調波発生は、基本波(元のレーザー光)からその整数倍の周波数(整数分の1の波長)を持つ光(高調波)を発生する現象です。2倍、3倍の周波数に変換する過程はそれぞれ2次、3次高調波発生と呼ばれ、さらに高い整数倍の周波数に変換する場合は一般に高次高調波発生と呼ばれます。
※3.対称性
対称性とは、ある物理的または数学的な系が特定の変換を行ってもその性質や形状が変わらないことを指します。これは、自然界の法則や物理現象において非常に重要な概念です。例えば、図形を60°、90°、120°、180度など回転させても同じ形に見える場合、その図形は回転対称性を持つと言えます。特に動的対称性は非常に強い光を物質に照射した際に有用な考え方です。強い光が照射されると物質はもとの状態から大きく変化し、光と物質が渾然一体となった状態を形成します。その際に、物質に対して光の電磁波が時間周期的な外力として働くため、光がもつ時間周期性と光、物質の両方がもつ空間対称性を同時に含んだ対称性である動的対称性が物質の光応答を決めます。
※4.アト秒光パルス発生
1990年頃に希ガスに強い赤外フェムト秒レーザー光(※10)を照射することで極端紫外領域まで到達する幅広い周波数の高次高調波の光が発生することがわかりました。2000年代初頭には発生した高調波の光がアト秒(100京分の1秒)単位の時間しか持続的に光らないパルス状の光になっていることが実験的に確かめられ、人類史上もっとも高速なストロボ撮影を可能にした技術として2023年にノーベル物理学賞が与えられています。NTT物性研においてもこのアト秒光パルスの発生技術を長年にわたって研究しています。
過去の関連ニュースリリース URL:
https://www.rd.ntt/brl/latesttopics/2014/12/latest_topics_201412171858.html
https://group.ntt/jp/newsrelease/2016/04/11/160411b.html
https://group.ntt/jp/newsrelease/2018/04/17/180417a.html
(アト秒光パルスを用いた電子の世界最速レベルのストロボ撮影)
※5.円偏光
直線偏光が電場の振動方向が一定の方向に固定された光の状態であることに対して、円偏光は電場の方向が時間とともに回転する光の状態を指します。
※6.光渦
光渦は、光の波面が空間的にねじれている光の状態です。光渦の中心には位相が不連続になる特異点があり、ビームの中心で光の強度はゼロになったドーナツ状の断面の強度分布をもちます(図2)。数学的にはレーザービームの伝搬を記述する方程式の解の1つであるラゲールガウシアンモードであらわされます。渦の巻き数と右巻きか左巻きかを表す整数値で特徴づけられる独立な光渦状態が存在します。光渦は現在、超解像顕微分光、微小物質の光ピンセット、無線光通信など様々な分野で応用されています。
※7.光の円偏光と光渦を相互に変換する方式
光渦の作成方法の一つです。光渦の作成方法はいくつもあり、多くの場合ガウシアンビーム(※8)の波面を特殊な光学素子により変換する方式が用いられます。例えば、空間的にらせん状に厚みを変えた透明な板(らせん位相板)を通すことで光渦への変換が可能です。それらの変換する方式の中で光の円偏光と光渦をあたかも相互に変換させるような方式があります。その例が厚い1軸性結晶(※9)に対して、その光学軸(※9)に平行な方向から焦点距離の短いレンズでビーム集光するというもので、光の複屈折(屈折率が光の進行方向に垂直な2方向の間で異なることで光の偏光に応じて光の進む速さが物質内で異なること)を利用したものです。今回の実験において光学軸は結晶の厚み方向に向いています。物理学において光の円偏光の回転方向は「スピン角運動量(粒子の自転運動を表す量)」、光渦の渦度が「軌道角運動量(粒子の公転運動を表す量)」に対応することから、「スピン軌道相互作用」と呼ばれる電子などに対して現れる効果の光に対する類推としても注目を集めています。
※8.ガウシアンビーム
波面形状が平面状であり(光渦でない)、ビームの中心から外側に向かって強度が徐々に(ガウス関数に従って)小さくなる断面構造をもつビームが通常のレーザービームであり、ガウシアンビームと呼ばれます(図2)。
※9.1軸性結晶
1軸方向にだけ異なる光の屈折率をもつ結晶。その1軸方向を光学軸と呼びます。
※10.フェムト秒レーザー光
レーザー光が定常的でなく時間的にパルス状に光るもので、光っている持続時間がフェムト秒(1000兆分の1)単位の時間であるレーザー光。
本件に関する報道機関からのお問い合わせ先
日本電信電話株式会社
先端技術総合研究所
企画部 広報担当
nttrd-pr@ml.ntt.com
ニュースリリースに記載している情報は、発表日時点のものです。
現時点では、発表日時点での情報と異なる場合がありますので、あらかじめご了承いただくとともに、ご注意をお願いいたします。
NTTとともに未来を考えるWEBメディアです。