2025年5月 2日
日本電信電話株式会社
発表のポイント:
日本電信電話株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:島田 明、以下「NTT」)は、光通信用デバイスに用いる半導体薄膜の成膜条件(原料ガス量)を、半導体物性の知識を取り入れた機械学習により自動導出する手法を実現しました。本手法により、目的とする組成の半導体薄膜を効率的に成膜でき、光通信用デバイスの製造コストの削減が期待できます。本手法は光通信用デバイスの製造業務のDX化に貢献します。
Society 5.0(※1)の実現には、蓄積したデータをもとに自動で判断・行動できる仕組みが重要です。材料の研究分野でも、AI(人工知能)の一種である機械学習を活用した「マテリアルズインフォマティクス(MI)」が急速に発展しており、材料の効率的な作り方や性質の理解に役立っています。
NTTではこれまでに、「ベイズ最適化(Bayesian Optimization(以下BOと略す))」という機械学習を用いて、世界で初めて超高品質な酸化物薄膜(SrRuO₃)の作製に成功しました(※2)。今回はその技術に半導体物性の知識を組み合わせることで、光通信や光電融合デバイスに使用する化合物半導体薄膜の成膜をより効率的に行うことに成功しました。この成果は、少ない回数で目的とする組成の結晶成膜条件が得られることや、従来は経験に頼っていた成膜条件の効率的な探索技術を次世代に継承するという観点で、ものづくりの現場の課題を解決するものであり大きな意義を持ちます。
一般に化合物半導体薄膜は、図1のSTEP1に示すように成膜します。土台となる半導体基板を真空装置に導入し、数百度の温度下で、原料ガスを基板表面に供給します。基板表面で吸着する原料原子の量を調整することで、目的とする組成の結晶薄膜を成膜します。この方法をMOCVD法(※3)とよび、今回は光通信用デバイスで広く用いている化合物半導体材料(インジウムリン(InP)(※4)基板上にインジウムガリウムヒ素リン(In(1-x)Ga(x)As(y)P(1-y))(※5))の成膜を行いました。
BOは、最小限の試行で最適解を見つける機械学習手法です。今回提案する手法は、目的とする組成の結晶を成膜するための原料ガス量を高精度に予測します。
図1は化合物半導体薄膜の成膜条件を自動提案するための流れを示しています。自動化は以下の4つのSTEPで行います。
STEP1: 原料ガス量(𝐹Ga, 𝐹As)を実験パラメータとして結晶を成膜
STEP2: 成膜した結晶の測定可能な物理量(バンドギャップ波長※6と格子定数※7)より結晶組成を導出
STEP3: 原料ガス量(𝐹Ga, 𝐹As)と結晶組成(𝑥, 𝑦)を教師データセットとして成膜ごとに更新
STEP4: 教師データセットを用いてBOを行い、目的の結晶組成を得るための原料ガス量を導出
図1:本研究で作成した予測エンジン
半導体物性の知識を導入したベイズ最適化(Physics-informed Bayesian optimization, PI-BO)は実験結果を教師データとして、目的とする化合物半導体薄膜の成膜条件(原料ガス量)を自動で導出するエンジンです。従来のベイズ最適化に対して予測の精度を高めるために、測定可能な物性値から結晶組成を導出し、原料ガス量との関係に紐づけています。
今回提案する手法は以下の2つの工夫を行っています。
図2:測定可能な値から結晶組成を導出するイメージ
測定可能な物理量であるバンドギャップ波長(λ𝑔)、格子定数(𝑑)から、半導体物性の知識を用いて結晶組成(𝑥, 𝑦)を導出可能です。左右の図において、同じプロット記号が対応関係にあります。
従来BOの関係式:
バンドギャップ波長 = 未知の関数(原料ガス量)
格子定数 = 未知の関数(原料ガス量)
PI-BOの関係式:
Gaの結晶組成 = 線形の関数(原料ガスGa量) + 未知の関数(原料ガスGa, Asの量)
Asの結晶組成 = 線形の関数(原料ガスAs量) + 未知の関数(原料ガスGa, Asの量)
上の式で示すように、従来BOは、バンドギャップ波長や格子定数と原料ガス量の関係を未知の関数で紐づけます。そのため、例えばGa原料のガスを増加させたにもかかわらず、Ga組成が減るといった誤予測をする場合がありました。PI-BOは、該当する材料の結晶組成と該当する原料ガス量の間に線形性の関係を紐づけ、線形性からずれる量について未知の関数を紐づけます。ターゲットとする結晶組成と教師データの結晶組成の差を埋める原料ガス量の予測精度の向上が可能です。
図3は従来BOとPI-BOの予測の比較を示します。横軸は原料ガスGa量、縦軸は原料ガスAs量、図中の色はGa結晶組成𝑥を示しています。6点の教師データ(▲)から、ターゲットとするGa結晶組成𝑥を実現する原料ガス量(+)を予測しています。ターゲットの𝑥は0.1953であり、図中の白領域を示します。(a)従来BOでは横軸が右に行くに従い青から白に変わり青になります。これは原料ガスGaが増えていくに従い、Ga結晶組成が増加した後減少することを予測しており、現実的には起こらない誤予測です。一方(b)PI-BOでは、横軸が右に行くに従い青から赤になります。これは原料ガスGaが増えていくに従い、Ga結晶組成が単調に増加することを予測しており、現実的な予測です。注目すべきは、従来BOでは予測を示す白い領域が破線のように広がっているのに対して、PI-BOでは該当する領域が青と赤の間の狭い領域にとどめられており、予測精度が高いことを示しています。
図3ではGa結晶組成の予測比較を示しています。実際は対象とするIn(1-x)Ga(x)As(y)P(1-y)の結晶組成(𝑥, 𝑦)を実現する原料ガス量(𝐹Ga, 𝐹As)を予測する必要があります。そのためAs結晶組成についても図3と同様の手法で予測をします。そして、Ga結晶組成とAs結晶組成を同時に目標とする値に近づける原料ガス量(𝐹Ga, 𝐹As)を予測します。(詳細については論文掲載情報参照)
図3:従来BOとPI-BOの予測の比較
6点の教師データ(▲)から、目標とする結晶組成を得るための原料ガス量の条件(+)を示します。
図の横軸は原料ガスGaの量、縦軸は原料ガスAsの量、図中の色はGa結晶組成𝑥を示します。
(実際にはAs結晶組成についても同じように条件を算出します)
PI-BOを用いて目標とする結晶組成を得るための原料ガス量の条件を導き、その条件に基づいて成膜を行いました。
図1のSTEP2で示すように、化合物半導体薄膜は測定可能な物理量であるバンドギャップ波長と格子定数を測定することで性質を管理します。PI-BOのエンジンの中で測定可能な物理量を結晶組成にして条件予測をしますが、実験で目標とする値はバンドギャップ波長と格子定数です。教師データはバンドギャップ波長が1110~1162nm、格子定数が5.862~5.880Åの6点とし、目標の物性値はバンドギャップ波長1180nm、格子定数5.869Å(InP基板と格子整合する格子定数)とします。目標のバンドギャップ波長が教師データの範囲の外にあるため、こうした条件を「外挿条件」と呼び、従来のBOには予測が難しい問題でした。
図4(a)は6点の教師データ(N1~N6)のバンドギャップ波長を示しています。ピークとなる点の波長をバンドギャップ波長として扱います。(b)は6点の教師データからPI-BOを行い導出した原料ガス量で成膜した結晶のバンドギャップ波長を示しています。(c)は6点の教師データの格子定数を示しています。中心がInP基板の格子定数を示しており、成膜した薄膜の格子定数がInP基板と整合していれば、中心以外のピーク(サブピーク)が観測されないことになります。(d)は6点の教師データからPI-BOを用いて導出した原料ガス量で成膜した結晶の格子定数を示しています。(b)で示すように、PI-BOで導出した条件で成膜した薄膜は、ターゲットとしているバンドギャップ波長の範囲に入っています。(d)で示すように格子定数についてもサブピークが観測されないためInPに整合(一致)する格子定数を有していること示しており、ターゲットとしている格子定数の範囲に入っています。つまり6点の教師データから目標とする1180nm、InP基板と格子整合する結晶組成を1回で実現できたことを示しています。
図4:6点の教師データ(N1~N6)より外挿的領域の成膜(N7)
6点の教師データ(N1~N6)から目標とする結晶組成を達成するための成膜(N7)を行いました。
(a)教師データとして用いたバンドギャップ波長、(b)はPI-BOに従い成膜した結晶のバンドギャップ波長、(c)教師データとして用いた格子定数(InP基板の格子定数5.8688Åに対しての相対的な値として表示)、(d)はPI-BOに従い成膜した結晶の格子定数を示しています。
さらに目標とする物性値を変えてPI-BOの有効性を確認しました。教師データは上記のN1~N6にPI-BOで予測して成膜したN7も加えて7点としました。教師データのバンドギャップ波長は1110~1175nmであり、格子定数は5.862~5.880Åです。次の目標の物性値はバンドギャップ波長1100nm、格子定数5.869Å(InP基板と格子整合する格子定数)とします。図4の取り組みと同様この試行についても、目標のバンドギャップ波長が教師データの範囲の外にある外挿条件の探索です。
図5(a)は7点の教師データ(N1~N7)のバンドギャップ波長を示しています。ピークとなる点の波長をバンドギャップ波長として扱います。(b)は7点の教師データからPI-BOを用いて導出した原料ガス量で成膜した結晶のバンドギャップ波長を示しています。教師データを用いて成膜する1回目(N8)を実施後、図1の流れに従いN8のデータも加えた形でPI-BOを行い、N9の原料ガス量を提案します。(c)は7点の教師データの格子定数を示しています。(d)は7点の教師データからPI-BOを行い導出した原料ガス量で成膜した結晶の格子定数を示しており、(b)での説明同様に成膜のたびにその結果を教師データに追加していきます。(b)で示すように、バンドギャップ波長としてターゲットとする範囲に対してN8では1080nm付近まで短波に動きますがその後ターゲット領域の波長に近づいていくことを確認しました。(d)についても同様で、N8においてはInPの格子整合から0.2%程度外れているが徐々にターゲット領域に近づいていくことを確認しました。3回目(N10)のバンドギャップ波長は1089nmであり、3回目の実験でほぼ目標値±10nmに近い値に到達することを確認しました。4回目(N11)以降はターゲット収束する結果を確認しました。
図5:7点の教師データ(N1~N7)から外挿的領域の成膜(N8~N13)
7点の教師データ(N1~N7)から目標とする結晶組成を達成するための成膜(N8~N13)を行いました。
(a)教師データとして用いたバンドギャップ波長、(b)はPI-BOに従い成膜した結晶のバンドギャップ波長、(c)教師データとして用いた格子定数(InP基板の格子定数5.8688Åに対しての相対的な値として表示)、(d)はPI-BOに従い成膜した結晶の格子定数を示しています。
半導体物性の知識を用いたベイズ最適化手法を用いて目的とする組成の結晶を成膜するための原料ガス量を自動提案するエンジンを実現しました。本手法を、光通信用デバイスや光電融合デバイスの材料となる半導体薄膜の製造現場に広く展開することで、製造業務のDX化を進めていきます。また、この技術を普及させ、これまで熟練の技術者に頼っていた半導体薄膜の製造ノウハウをデータとして蓄積し、次世代への技術継承に資するものとしていきます。その結果、光通信用デバイスを安定して供給するためのサプライチェーンの強靭化につなげていきます。
"Physics-informed Bayesian optimization suitable for extrapolation of materials growth"
Wataru Kobayashi, Takuma Otsuka, Yuki K. Wakabayashi, and Gensai Tei(4名)
Npj computational materials (2025): https://doi.org/10.1038/s41524-025-01522-8
※1Society 5.0: 第5期科学技術基本計画で提唱した社会像 https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/
※2報道発表「世界で初めてエキゾチックな準粒子の量子的電気伝導を観測 ~超高品質SrRuO₃薄膜を用いて『磁性ワイル半金属状態』の存在を実証~」 https://group.ntt/jp/newsrelease/2020/10/09/201009a.html
※3MOCVD(Metal Organic Chemical Vapor Deposition)法: 有機金属化合物気相成長法。有機金属という原料ガスを用いて半導体基板の上に薄膜を成膜する手法
※4インジウムリン(InP): 光通信用デバイスで使用する波長の光を発光、吸収することが可能な半導体材料を成膜するための基板となる材料
※5インジウムガリウムヒ素リン(InGaAsP): 光通信用デバイスで使用する波長の光を発光、吸収することが可能な半導体材料。一般にInP基板の上に薄膜として実現する
※6バンドギャップ波長: 材料が光を吸収したり、発光したりする光の波長
※7格子定数: 結晶構造において、単位格子を構成する原子間の距離を示す物理量
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