2026年8月 7日
お知らせ
実験を行う時間を変えたり、観測する方向を変えたりしても、物理法則そのものが変わらないことがあります。このようなとき物理法則は「対称性を持つ」と言われ、これらはエネルギーや角運動量の保存といった重要な現象と深く関係しています。一方で、物理法則に対称性があっても、現実の物理系の状態はその対称性を破っていることがよくあります。このような「対称性の破れ」は、物理系の性質を特徴付ける上で重要です。さらに近年では、時刻や方向の基準を与える「資源」としての役割にも注目が集まっています。実際、時間に関する対称性を破った状態は量子時計として、回転に関する対称性を破った状態は量子ジャイロスコープとして利用することができます。しかし、こうした資源としての対称性の破れを正確に定量化し、別の状態への最適な変換の効率を決定する包括的な理論は、これまで確立されていませんでした。
本研究では、さまざまな対称性の破れを統一的に定量化し、最大の変換効率を計算するための指標を明らかにしました。その鍵となるのが、「量子幾何テンソル」と呼ばれる幾何学的な量です。この量を用いると、ある対称性の破れを別の形に変換するときの、理論上可能な最大効率を計算できます。さらに、その最大効率を実際に達成するための変換手順も具体的に構成しました。これにより、回転対称性などを含む幅広いクラスの対称性について、対称性の破れの度合いを統一的に評価する理論を世界で初めて確立しました。
九州大学大学院システム情報科学研究院の山口幸司特任助教(現:同客員助教兼University of Waterloo Research Assistant Professor)、田島裕康准教授、理化学研究所量子コンピュータ研究センターの三橋洋亮基礎科学特別研究員、NTT株式会社コンピュータ&データサイエンス研究所の設楽智洋研究主任の研究グループは、対称性が破れた量子状態を別の状態へ変換する問題を理論的に解析しました。その結果、量子幾何テンソルが変換効率の理論限界を定めることを証明し、その限界を達成する最適な変換手順を構成しました。
本成果は、超高精度な量子時計や量子ジャイロスコープなどの量子センサー技術の理論基盤を与えます。また、量子熱機関を含む様々な物理過程において、状態を変えるために必要な量子資源の量を見積もる方法を提供します。幅広いクラスの対称性の破れを共通の尺度で計算できるようになったため、今後の量子技術の開発や、物理系の性質の新たな解析手法として広く利用されることが期待されます。
本研究成果は、アメリカの科学雑誌「Physical Review X」に2026年8月5日(現地時間)に掲載されました。
対称性は、物理学のさまざまな分野で中心的な役割を果たしてきました。たとえば、時刻の原点をずらしても物理法則が変わらないことはエネルギー保存と関係し、空間の向きを変えても物理法則が変わらないことは角運動量保存と関係します。このように、対称性は自然現象を理解するための基本的な考え方です。
一方で、物理法則が対称性を持っていても、物理系の状態そのものはその対称性を破っていることがあります。この対称性の破れは、磁性体や超伝導体などの物質の性質を理解する上で重要であることがよく知られています。さらに量子技術では、対称性を破った状態はさまざまな基準を与える量子資源としても働きます。例えば、時間に関する対称性を破った状態は量子時計として、回転に関する対称性を破った状態は量子ジャイロスコープとして利用できます。
このような量子資源を有効に使うには、ある状態に含まれる対称性の破れを、別の状態へ最大限効率良く変換する手法を確立することが重要です。見方を変えると、この問題の本質は、状態が持つ対称性の破れを測る指標を導入し、異なる状態の対称性の破れの度合いを比較できるようにすることにあります。
しかし、対称性の破れを測るためのこのような指標は、これまで十分に確立されていませんでした。先行研究では、時間に関する対称性のような比較的扱いやすい状況について研究が進み、一部の特殊な場合に対する結果は得られていました。一方で、回転のように複数の方向が関わる対称性を含め、幅広いクラスの対称性に共通して使える指標を定める包括的な理論は構築されていませんでした。
本研究では、量子状態に含まれる対称性の破れを、別の量子状態へ変換する問題を理論的に解析しました。より具体的には多数の同じ量子純粋状態をまとめて扱う極限において、ある状態から目的の状態をどれだけ多く作れるかを表す最大変換効率を調べました。この変換効率の理論的な上限を正しく与えるためには、状態の持つ対称性の破れを測る統一的な指標として「量子幾何テンソル」を用いればよいことを明らかにしました。
さらに本研究の成果として、この上限を達成するような変換プロトコルを具体的に構築しました。これにより、量子幾何テンソルが対称性の破れを測る統一的な指標であることを示し、回転などを含む幅広いクラスの対称性(正確にはコンパクトリー群(※2)で記述される任意の対称性)に対して、量子資源の変換効率を統一的に計算できる理論を世界で初めて確立しました。
この成果は、従来知られていた時間に関する対称性の場合を大きく一般化するものです。特に、回転のように複数の方向が関わる対称性では、対称性がどの程度破れているかだけでなく、どの方向に破れているかも重要になります。本研究の理論は、そのような方向の違いも含めて包括的に扱える点に特徴があります。
また、この成果の特別な場合として、可逆な変換がいつ可能かを特徴付ける条件も導きました。この結果は、10年以上未解決だったMarvian-Spekkens予想(※3)を解決するものです。これにより、対称性の破れを持つ量子資源を、どのような場合に無駄なく相互変換できるのかが明らかになりました。
さらに、この理論を量子計測と量子熱力学へ応用しました。量子計測では、時刻や向きの基準となる量子状態を比較するための標準的な基準状態を系統的に導入しました。量子熱力学では、熱浴との接触を通じた状態変換を解析し、系の大きさに比例する極めて大きな量子資源が必要になる場合があることを明らかにしました。
本研究により、対称性の破れを量子資源として測り、理論上可能な最大効率で変換するための手法が確立されました。これは、量子時計や量子ジャイロスコープなどの量子センサーにおいて、限られた量子資源を最大限効率良く活用する手法の基盤となると考えられます。さらに、対称性が関わる幅広い現象に対して、本研究で得られた指標を用いることで、量子技術や物性物理をつなぐ新たな解析手法への展開も期待されます。
(※1)量子幾何テンソル
量子状態が少し変化したときに、どの方向へどれだけ変わりやすいかを表す量。量子状態の空間における「距離」や「曲がり方」を記述する幾何学的な量で、これまで物性物理や量子情報の分野で研究されてきました。本研究では、この量が対称性の破れを測るよい指標として働き、量子資源としての変換効率を決めることを明らかにしました。
(※2)コンパクトリー群
連続的な変換の集まりを数学的に表す枠組みの一つ。「群」とは、変換を続けて行ったり、逆向きの変換を行ったりできる集まりを意味します。「リー群」は変換の度合いを連続的に変えられるものを指します。「コンパクト」は、その変換の範囲が数学的によく制御された性質を持つことを表します。回転に関する対称性が代表例です。本研究では、この広いクラスの対称性に対して成り立つ一般理論を構築しました。
(※3)Marvian-Spekkens予想
対称性の破れを量子資源として扱う理論において、多数の同じ量子純粋状態をまとめて変換する問題設定で、異なる量子状態を無駄なく可逆的に変換できるための条件を予想したもの。Iman Marvian氏とRobert W. Spekkens氏によって提案されましたが、10年以上にわたり一般的な証明は得られていませんでした。本研究の成果は可逆・非可逆の両方を含む一般的な変換理論を構築したものであり、その可逆な場合としてこの予想が正しいことを証明しました。
本研究はJSPS科研費 「学術変革領域B(課題番号: JP24H00830, JP24H00831)」「基盤B(課題番号: JP25K00924)」「特別研究員奨励費(課題番号: JP24KJ0085, JP23KJ0421)」、科学技術振興機構(JST)「ムーンショット型研究開発事業(課題番号: JPMJMS2061)」、「CREST(課題番号: JPMJCR23I4)」、「さきがけ(課題番号: JPMJPR2014)」、「創発的研究支援(課題番号: JPMJFR2365)」、MEXT 「Q-LEAP(課題番号: JPMXS0120319794)」、理研白眉制度の助成を受けたものです。

掲載誌:Physical Review X
タイトル:Quantum Geometric Tensor Determines the Pure-State I.I.D. Conversion Rate in the Resource Theory of Asymmetry for Any Compact Lie Group
著者名:Koji Yamaguchi, Yosuke Mitsuhashi, Tomohiro Shitara, Hiroyasu Tajima
DOI:10.1103/qqf6-x85b
【お問合せ先】
九州大学 大学院システム情報科学研究院 准教授 田島裕康(たじまひろやす)
TEL:092-802-3651
Mail:hiroyasu.tajima@inf.kyushu-u.ac.jp
九州大学 広報課
TEL:092-802-2130 FAX:092-802-2139
Mail:koho@jimu.kyushu-u.ac.jp
理化学研究所 広報部 報道担当
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