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2020年8月27日

カルチャー スポーツ ユニバーサル

だれでも楽しめる
「アルファベットフェンシング」

どこにでもある日用品を使って、トップアスリートの感じている世界を体験できる?どんな人にもスポーツの「本質」を伝えようとする、NTTの取り組みに迫ります。

剣の代わりにアルファベットを持って「アレ!」

「3、2、1、アレ(フランス語:始め)!」。時計係の大きな声が響くと、みんな一斉に試合開始。二人一組で向かい合って、それぞれがアルファベット(の形をした木片)を手に持つ。絡み合わせて、持つ手を引いたり、押したり、ひねったり。なにをやっているのかって? これは「アルファベットフェンシング」。フェンシングの「おもしろいところ」をぎゅっと抜き出して、だれでも楽しめるように工夫した、新しい競技です。2つのアルファベットを知恵の輪のように絡み合わせ、それを「外そう」とする側、「外させまい」とする側に分かれて競技スタート。10秒間で外すことができるか、外させずに耐えきるかで勝敗が決まります。目をつぶって試合をするので、指の感覚だけが頼り。大きな力は要りません。座ってプレーすることもできるので、大人でも子どもでも、目の見えない人でも車いすの人でも、一緒になって遊べます。試合が終わるたびに、会場は大騒ぎ。「負けたー!」、「よし、次こそは」。笑い声と歓声に包まれ、時計係の「アレ!」の合図も聞き取りにくいほど。みんな「アルファベットフェンシング」を楽しんでくれているようです。

画像:フェンシングの感覚を活かすため、親指と人差し指の2本で軽く支えてアルファベットの木片を持ち戦います フェンシングの感覚を活かすため、親指と人差し指の2本で軽く支えてアルファベットの木片を持ち戦います

スポーツの本質を、どう「翻訳」するのか?

「アルファベットフェンシング」は、NTTと東京工業大学の共同研究プロジェクト「見えないスポーツ図鑑」から生まれました。このプロジェクトではさまざまなスポーツを「翻訳」し、身近なものを使って、だれもが体験できるようにすることをめざしています。たとえば「野球の翻訳」では、ピッチャー役の肩をバッター役が触り、肩の筋肉の動きを感じながら、ピッチャー役がボール代わりに引くストッキングを、タイミングを合わせて叩く、という動きに置き換え、ピッチャーとバッターの駆け引きを再現しました。他にも「柔道」では、二人が一つのフラフープを持ち重心を崩し合うゲームに置き換えたり、海の上で絶えずバランスを変えていくセーリングの特色を、紐を引っ張りながら板の上に転がるボールを落とさないようにする動きに置き換えたりと、一見すると元のスポーツからまったくかけ離れたような見た目ながら、そのスポーツの「本質」を再現することに取り組みました。

「もともとは、目の見えない人にスポーツをどう伝えるか、というテーマからプロジェクトがスタートしたんです」と話すのは、触覚のコミュニケーションが専門の、NTTコミュニケーション科学基礎研究所人間情報研究部 上席特別研究員・渡邊淳司。「見えないスポーツ図鑑」プロジェクトは、渡邊とともに、NTTサービスエボリューション研究所2020エポックメイキングプロジェクト 主任研究員・ 林 阿希子、さらには東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 准教授・伊藤亜紗さんと共同で2018年に立ち上がりました。

「モノのブレスト」で飛び出したアイデアを育てる

「見えないスポーツ図鑑」では、そのスポーツの専門家をお呼びし、「本質」を一緒に議論しながら「翻訳」を進めていきます。「アルファベットフェンシング」の開発にあたっては、元フェンシング日本代表でロンドン五輪男子フルーレ団体銀メダリストの千田健太さんを迎えました。千田さんによると、フェンシングでは、剣から伝わる感覚情報を駆使して相手との駆け引きをするのだそうです。しかし、剣が大事とはいっても、それを棒状の剣のようなもので翻訳してしまっては、そのまますぎて逆にフェンシングの「本質」が伝わりにくいのではないか。そんな事態を打開したのが、「モノのブレスト」でした。

画像:ヘアブラシや、ウレタンの棒など、いろんなものを実際に触りながら、アイデアを出し合います ヘアブラシや、ウレタンの棒など、いろんなものを実際に触りながら、アイデアを出し合います
*向かって右から : 元フェンシング日本代表 2012年ロンドン団体銀メダリスト 千田健太さん、
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 伊藤亜紗さん、
NTTサービスエボリューション研究所 林、
NTTコミュニケーション科学基礎研究所 渡邊 (敬称略)

スポーツの「翻訳」を行う「見えないスポーツ図鑑」で定番になった「モノのブレスト」は、テーブルの上に、お店で買ってきたありとあらゆる「モノ」を並べ、それを手に取りながらスポーツと日常的な動作の共通点を探る、というもの。たまたま別のスポーツで使えるのではないかと買ってあったアルファベットの木片を渡邊が手に取ると、千田さんが反応しました。「これ、面白いですね」。そこからどんどん話が広がり、フェンシングで重要とされる「フィンガリング」と言われる指先での剣の操作などを取り込みながら、アルファベットの形によって戦略を表現する、「アルファベットフェンシング」の遊び方を作っていきました。

「今回フェンシングという競技をさまざまな視点から深掘りしてみて、あらためて、これまで気づかなかったこの競技の魅力に触れることができたような気がします」と千田さんが話してくれました。美学研究者として「目の見えない人は、世界をどのように認識しているのか」をテーマとしている伊藤亜紗さんは「ブラインドマラソンを体験する機会があったのですが、二人をつなぐ伴走ロープから伝わってくる情報って、すごいんですよ。ふだん私は言葉を使って人に考えを聞いたり、自分も伝えたりしています。でも、触覚にはすごい情報が込められているんじゃないかと思ったんです」と話します。林はユーザエクスペリエンスデザイン研究者の立場から、モノやからだを介して伝わるさまざまな情報について考えます。「モノのブレストを通じて、言語化できない潜在的なイメージを共有することができました。これは新たなインターフェースを開発するヒントになるかもしれません。」と話します。「触覚」を軸に、領域の異なる研究者が集まり、いろんなスポーツの「本質」を伝える研究が始まったのです。

メダリストと子どもが、お互い本気でぶつかりあった

「アルファベットフェンシング」の体験会が都内で開かれ、小学生や視覚障がい者や車いすユーザも参加しました。さらにこの日は、フェンシング世界選手権金メダリストで、日本フェンシング協会会長を努める太田雄貴さんが参加してくださいました。子どもから大人、障がい者、アスリートと、実にさまざまな立場の人が同じゲームをプレーする、またとない機会になりました。結果は冒頭の通り、大盛り上がり。世代や障がいの有無にかかわらず一緒になって楽しめただけでなく、子どもたちが大人や、時にはメダリストに勝ったりすることもありました。「アルファベットの形はイメージしやすいので、わかりやすかったです。ただ、イメージできるからと言って、勝てるわけじゃなかったですけど(笑)」と、視覚障がいの参加者が楽しそうに感想を話してくれました。

画像:メダリストも、子どもを相手に思わず熱くなり、ガッツポーズ! メダリストも、子どもを相手に思わず熱くなり、ガッツポーズ!

  • 画像:楽しいアルファベットフェンシング。現役選手も自然と笑顔がこぼれてきます 楽しいアルファベットフェンシング。
    現役選手(左:松山恭助選手、右:西藤俊哉選手)も
    自然と笑顔がこぼれてきます

  • 画像:障がいの有無にかかわらずみんな一緒になって楽しめます 障がいの有無にかかわらずみんな一緒になって楽しめます

スポーツを通じて、共生社会実現へ

「どんな人たちとも同じ条件で戦え、楽しむことができる素晴らしいゲーム。私たち日本フェンシング協会では、学校を訪れ、トップアスリートが試技をする普及活動を行っていますが、新型コロナウイルス感染症の流行によって、そうした活動が難しくなりました。今後はこのアルファベットフェンシングなども活用して、例えば少人数のグループでフェンシングの面白さを伝える、などの新しい普及活動を模索していきたいですね」と、太田さんは話します。

画像:日本フェンシング協会会長(日本初のフェンシング金メダリスト元フェンシング日本代表) 太田雄貴さんも、アルファベットフェンシングに期待を寄せてくださいました 日本フェンシング協会会長(日本初のフェンシング金メダリスト元フェンシング日本代表) 太田雄貴さんも、
アルファベットフェンシングに期待を寄せてくださいました

渡邊は「思ったよりも、メダリストと普通の人の間で障壁なく戦えることがわかりました。悔しがっている太田さんの姿を見ることができるなんて、めったにないこと(笑)。アスリート、視覚障がいのある方、車いすユーザ、健常者、子ども、多様な人たちが一緒になって、楽しんでプレーできることを知った、貴重な機会になりました」と体験会を振り返ります。

NTTではICTを中心としたさまざまな技術を活用し、共生社会の実現に向けた取り組みや研究開発を行っています。「見えないスポーツ図鑑」の活動から、だれもがスポーツを一緒に楽しめるインクルーシブな社会を実現するための技術やアイデアが生まれてくる、そんな期待が高まります。