2026年10月 2日
NTT株式会社
発表のポイント:
NTT株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:島田 明、以下「NTT」)は、神経細胞から伸びた神経線維の局所に痛みに相当する熱刺激を与え、そこで生じる神経信号の発生と伝播を電気的に捉える技術を実現しました。NTTが培ってきたオンチップ生体モデル技術※3を基盤に、神経線維を誘導するマイクロ流路、光を熱に変換するナノ材料、神経信号を計測する微小電極を一体化し、神経線維への局所刺激と電気計測を両立しました。痛みは主観的で個人差が大きく、その感受性や治療効果を客観的に捉えることが難しい生体現象です。本技術により、痛みに関わる情報が末梢神経※4で電気的な神経信号へ変換される過程を細胞レベルで解析し、痛みへの感受性や薬剤応答の違いを定量化することで、一人ひとりに適した治療や将来的なバイオデジタルツイン※5への展開が期待されます。
本研究成果は、ナノサイエンス・ナノテクノロジーに関する国際学術誌「Small」に掲載されました。また、2026年11月18日~25日に開催されるNTT R&D FORUM 2026※6に展示予定です。
図1 “痛みの入口”を再現するオンチップ末梢神経モデルの概要
痛みは人のWell-beingに大きく関わる一方、主観的で個人差が大きく、その感受性や治療効果を客観的に評価することが難しい生体現象です。痛みに関わる情報は、皮膚などに分布する末梢神経の先端で受け取られます。例えば、やけどにつながるような高温に皮膚がさらされると、神経線維に存在する温度受容体※7が熱を感知し、電気的な神経信号を生み出します。その信号が神経線維を伝わって脳へ届くことで、熱による痛みの知覚につながります。
これまで、痛みに関わる温度受容体の分子レベルでの研究や、培養した感覚神経細胞の熱応答の解析が進められてきました。一方、従来の細胞実験では培養皿全体を加熱する方法などが一般的であり、実際の身体の中のように、細い神経線維の一部だけに刺激を与え、そこで生じた神経信号が伝わる過程を観察することは困難でした。そこでNTTは、これまで培ってきたオンチップ生体モデル技術を活用し、神経線維への局所的な熱刺激と、そこで生じる神経信号の電気計測を同時に行う末梢神経モデルを構築しました(図1)。痛みに関わる末梢神経の応答をチップ上で可視化・定量化することで、将来的なバイオデジタルツインによるWell-being向上につながる基盤技術をめざします。
通常の培養環境では、神経細胞から伸びる神経線維はさまざまな方向に伸長するため、刺激した神経線維と計測する神経線維を対応付けることが困難でした(図2)。本技術では、神経細胞の本体よりも小さなマイクロ流路を用いて神経線維だけを選択的に流路内へ導き、その伸びる経路を定めました。この経路上に刺激点と複数の計測点を配置することで、同じ神経線維で生じる信号を追跡できます。
図2 マイクロ流路を用いた同一神経線維への刺激・計測の実現
マイクロ流路の中には、光を吸収して熱に変換するナノ材料を用いた微小な発熱素子と、神経の電気信号を測る電極を並べて配置しました。発熱素子にレーザ光を当てることで、神経線維の約100µmの範囲だけを選んで加熱でき、さらに1ミリ秒という短い時間で熱刺激を与えることができます。熱刺激と電気計測のタイミングを合わせることで、神経線維で電気的な神経信号が生じる瞬間から、その信号が神経線維を伝わっていく様子までを追跡できます。
ラット由来の感覚神経細胞を培養し、細胞から伸びた神経線維の局所に熱刺激を与えました(図3a)。その結果、痛みを感じるような高温域に達すると神経信号の発生頻度が増加し、熱刺激によって神経信号が生じることを確認しました。さらに、流路内に並べた複数の電極では、同じ神経信号が時間差をもって計測されました。これは、局所的な熱刺激によって生じた神経信号が神経線維に沿って伝わったことを示しています。1ミリ秒の短時間の熱刺激に対しても、刺激直後に神経信号が発生し、その後、神経線維に沿って伝わる様子を捉えることができました(図3b)。
1ミリ秒の熱刺激を繰り返し与えると、神経の応答が徐々に小さくなり、刺激から神経信号が生じるまでの時間も長くなることが分かりました(図3b)。一方、一度生じた神経信号が神経線維に沿って伝わる速度にはほとんど変化がありませんでした。この結果は、繰り返し刺激によって神経線維の「信号を伝える機能」が低下したのではなく、熱を受け取って「信号を生み出す機能」が変化したことを示しています。この変化は、熱を受け取る温度受容体が繰り返し刺激によって反応しにくくなる「脱感作」と呼ばれる現象と整合しています。身近な例では、唐辛子の辛味成分によるヒリヒリとした刺激を受け続けると次第に感じにくくなる現象にも、温度受容体の脱感作が関わっています。本技術により、分子レベルで生じる変化が神経機能としてどのように現れるかを、高い時間分解能で追跡できることが示されました。
図3 ラット由来の培養感覚神経細胞に局所的な熱刺激を与えた際の神経信号の発生と伝播
本技術をヒトiPS細胞由来の感覚神経にも適用しました。その結果、ヒトiPS細胞由来の神経も熱刺激に応答する一方、ラット由来の神経に比べて応答が弱く、熱刺激から発火頻度が上昇するまでに時間がかかることが分かりました(図4a)。また、短い熱刺激を繰り返した際にも、ラット由来の神経では刺激に同期した明瞭な応答が見られたのに対し、ヒトiPS細胞由来の神経では刺激への追従性が低いことが確認されました(図4b)。これらの違いは、今回使用したヒトiPS細胞由来の感覚神経の機能的な成熟度などを反映していると考えられます。このように本技術は、細胞の形や分子の発現だけでは分からない、刺激に対する神経の機能的な違いを定量的に評価する手段としても利用できます。
図4 ヒトiPS細胞由来感覚神経の熱刺激に対する応答
今後は、マイクロ流路の構造や刺激・計測方法を高度化することで、より少数の神経線維、さらには個々の神経細胞における痛みへの感受性の違いを精密に評価することをめざします。これにより、平均的な応答では捉えにくい神経線維ごとの違いを明らかにし、痛みのばらつきが生じる神経の仕組みの理解につなげます。さらに、ヒトiPS細胞由来の感覚神経などと組み合わせ、痛みへの感受性や薬剤応答を細胞レベルで定量化することで、主観的で個人差の大きい痛みを客観的に理解するための基盤技術へ発展させます。将来的には、一人ひとりの痛みに関わる末梢神経応答をモデル化し、治療効果の予測や個人に適した治療法の選択を支援することで、バイオデジタルツインを活用した個別化医療への貢献をめざします。
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業 学術変革領域研究(A)「バイオ超越」(研究課題番号:JP25H02631)の支援を受けて実施しました。
雑誌名: Small
※1マイクロ流路
マイクロメートル(1mmの1000分の1)程度の微細な幅や高さを持つ流路です。本研究では、神経細胞から伸びる細い神経線維の伸びる経路を定めるために用いています。
※2ヒトiPS細胞
ヒトの体細胞から作製され、さまざまな種類の細胞へ分化する能力を持つ細胞です。本研究では、ヒトiPS細胞から作製された感覚神経細胞を用いています。
※3オンチップ生体モデル
細胞と人工構造物を組み合わせ、生体組織の構造や機能の一部をチップ上に再現する実験モデルです。生体機能の解明や病理モデリング、薬剤評価などへの活用が期待されています。
※4末梢神経・神経線維
末梢神経は、脳や脊髄と身体の各部をつなぐ神経です。感覚神経では、神経細胞から長く伸びた神経線維が皮膚などで刺激を受け取り、その情報を電気的な神経信号として脊髄や脳へと伝えます。
※5バイオデジタルツイン
個人の身体や心理の状態をデジタル空間上に再現し、将来の状態や治療などの介入による変化を予測することで、一人ひとりに適した予防・治療・ケアの実現をめざす技術概念です。NTTでは、その実現に向け、身体情報の計測や生体情報の処理・予測に加え、細胞・組織・臓器の機能を理解し、モデル化する研究を進めています。オンチップ生体モデルを用いて生体機能をチップ上に再現し、その応答を精細に捉える研究も、その取り組みの一つです。
※6NTT R&D FORUM 2026 https://www.rd.ntt/forum/2026/
※7温度受容体
温度変化に応答する分子で、神経細胞の膜などに存在します。痛みを感じるような高温に応答する代表的な温度受容体としてTRPV1が知られています。
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