趣旨と実施概要
Roundtable with Gen
Zは、
未来を生きる主役である10人の大学生とともに、
「これからの人間らしさ」を考える鍵となるキーワードについて、
「今」と「これから」を語り合う取り組みです。
若者たちの暮らしは今どのように変わり、
そこには未来に向けたどんな望みや葛藤が存在しているのでしょうか?明確な答えを出すことを目指す取り組みではありませんが、個性をもった一人一人の若者たちの言葉にこもった多くの問いや想いが、これを読む皆さんにも届くことを願ってその記録を残します。
NSL 若者研究所 研究員
チホ
21歳。
自分をオノマトペで表すと
「きょろきょろ」
NSL 若者研究所 研究員
ケイスケ
20歳。
自分をオノマトペで表すと
「ふにゃふにゃ」
NSL 若者研究所 研究員
カズキ
20歳。
自分をオノマトペで表すと
「ごちゃごちゃ」
NSL 若者研究所 研究員
ヨウタ
22歳。
自分をオノマトペで表すと
「とうとう」
NSL 若者研究所 研究員
ジュンヤ
22歳。
自分をオノマトペで表すと
「ふわふわ」
NSL 若者研究所 研究員
ミヅキ
20歳。
自分をオノマトペで表すと
「ニヤニコ」
NSL 若者研究所 研究員
ワカバ
21歳。
自分をオノマトペで表すと
「ズカズカ」
NSL 若者研究所 研究員
リコ
22歳。
自分をオノマトペで表すと
「ころころ」
NSL 若者研究所 研究員
リリカ
23歳。
自分をオノマトペで表すと
「あっちこっち」
NSL 若者研究所 研究員
モエ
22歳。
自分をオノマトペで表すと
「じわじわ」
若者の間に生まれた新たな言葉や頻度が増えている言葉はなんだろう?
言葉をかわすメディアとその使い方はどのように変わっているだろう?
記号や書体や文字などの変化は?
一人一人がそうした幅広い視点で暮らしを振り返り、
若者と「言葉」の今に関する興味深い視点を持ち寄ったうえで
議論を行いました。
若者たちの印象的な発言を軸にしてその議論を辿ります。
議論のポイント
1. オンライン
コミュニケーションの言葉
SNSなどのテキストメッセージの割合が
リアルを圧倒している
『僕は言葉の今について思い浮かぶことを「読む」「書く」「見る」「話す」で分類しながら書き出してみたんですけど、「書く」の部分がすごく多くて、その中でもSNSに関するものが特に多かったのが印象的です。例えば、SNSではテキストがどんどん短文に、シンプルになっている。句読点を使うのはおじさんの象徴で、「おじさんLINE」としてよくいじられているので、使うのを躊躇してしまう。なんで句読点を使わないんだろう?と考えてみたんですけど、句読点って、そもそも書き言葉を読みやすくするためのものですよね。でもLINEはもはや読み上げる意味がないというか。若者にとって(SNSでの)言葉は、音というよりは文字として独立しているのかなと。それで、発音を前提とした句読点みたいな気遣いはいらなくなったのだと思います。』
『私は、SNSやLINEとかは「絵として見ている感じ」ですかね。大学で論文とかを読む時は文字を頭の中で音にしている感じもあるけど、LINEとかって読みやすいように本当に短いものをぽんぽんアップしてキーワードで送っているので、そのまんま「見る」感じ』
『「LINEを読む」って言わないですよね。「LINEは見る」もの。』
若者たちの集めた「言葉の今」は、確かにその多くが、
SNSやデジタル上での言葉に関係するものでした。
スマートフォンが日常に当たり前にある暮らしにコロナ禍も重なり、
「SNSなどのテキストメッセージの割合がリアルを圧倒している」という
感覚は若者のみならず多くの現代人が実感していることではないでしょうか。
「打ち言葉」と言われることもある、こうしたデジタル上のテキストは、
これまでの「書き言葉」とも「話し言葉」とも異なる新たな言葉として浸透し、
独自の進化を遂げています。
そうした言葉は「読むものではなく、絵のように見るもの」だという分析は、
シンプルながらハッとさせられるものでした。スタンプの使用なども含めて、
身体や脳に直接入ってくるような、言葉の非言語化とも言える現象が
起こっているようです。
「軽く」「速い」流れていく言葉
こうしたテキストコミュニケーションの時代の言葉の特徴は、
言葉がタイムラインという「流れ」のなかに存在し、
ますます「軽く」「速い」ものになってきているということかもしれません。
『私の体感なんですけど、昔より1人の人と長時間、長文のメールなどをすることは減ったけど、その代わり多くの人と関わることが増えた気がします。コロナ禍とはいっても真面目な話なんかは会ったりビデオ通話をしたりするもので、SNSは多くの人と軽い会話をするためのツールだと思っています。』
『最初のガラケーのメール時代を思い出すと、そっちの方がちゃんと文章があって、話題ごとにかたまりにされていました。それがLINEだと全部1文、1文になっている。リプライやメンションの機能が出来たことでそれがさらにやりやすくなった気がします。』
『LINEだと同じ空間に同じ時間で違う話題を3、4個とかするんですよ。始まりも終わりも曖昧な、体系的ではない単発のメッセージが同時並行で進むというのは、すごく今っぽいかもしれない。』
オンラインのテキストコミュニケーションで重要なのはテンポやリズム感。そのため、1行から長くて2~3行の短い文章でぽんぽんやりとりをするというのが今の若者たちのスタンダードとなっています。LINEやinstagramなどのツールもそうしたコミュニケーションスタイルの変化と共にアップデートが重ねられていて、1つの発言に対して引用しながら返信ができるリプライ機能をよく活用しているという声が多数ありました。そうした技術の進化もあって、短文の複数投稿で、同時に複数の話題についてやりとりするというマルチタスク的なコミュニケーションのスタイルが定着しているようです。
一方で、そんな若者たちにとって馴染みが薄くなったのは長文のテキスト。
『「長文メッセージは読まない」という友達がいて、ちょっと面白いなと思いました。吹き出しとか短文のメッセージが多くなる中で、たまに届く長文にはいいことは書かれていないというようなことを言っていました。確かに言われてみると長文は勧誘だったりとか、すごく厳しいことをいわれていることが多いなと思いました。』
テキストコミュニケーションの中の長文は、読み手に負担をかけ、会話のテンポをさまたげる重い言葉としてネガティブな印象を持っている人も多いということが分かりました。
また、普段使っているツールの影響によるコミュニケーションスタイルの変化は、テキストコミュニケーション以外の領域でも見られるようです。
『就活のシーズンに、ちょうどコロナ禍が重なって、面接がオンラインになった世代なんですけど、その時に、対面とZOOMでの話し方がちょっと違うなって。普段は、雑談をしている時に、「ターン」ってあんまり意識したことなかったんですけど、 ZOOMだと、今は誰が喋っていて他の人は聞かないといけないみたいなことがある。ZOOMで、次は誰の番なのかを意識しはじめたら、今度は日常生活でも「ターン」を意識するようになりました。』
コロナ禍を経て、ビデオ通話を使ったコミュニケーションは、
プライベートからビジネスまで様々な場面に浸透していますが、
「常に話す順番を意識した単線的なやりとりがメインになる」
「大勢でいる時に話題を共有する2~3人のグループに自然に
分かれることができない」など、対面のコミュニケーションに
比べると不自由さを感じるという声がありました。
若者が求める流れるような、なめらかなやりとりを実現するには、
まだまだ技術的な課題が残されていると言えそうです。
2. 共通言語とコミュニティー
「誰かが使いがちな表現」
の文法を
「盗用」して、楽しむ
『僕、めっちゃ、ぴえん🥺の絵文字使っちゃうんですよ。仲のいい友達とおじさん構文を盗用して、楽しむみたいなことをしたり、絵文字だけじゃなくて、普通若者があまり使わない顔文字も使ったりもします。シンプルに「^^」だけのやつですね。「昔こういう文化があったよね」って感じで楽しむみたいな。そういう使い方で余白を持たせるみたいな。』
おじさん構文や、いわゆるオタクっぽい笑い、なんJっぽい構文などを駆使して、やりとりに軽さをもたらすのも、SNS・デジタル的言語の特徴です。大量の反復のなかで自然と構文が産まれて、その背景にある意味や文脈を乗せて楽しんでいく。ひとつの言葉から過去にその言葉が使われた際の文脈や連想を広げて楽しむ様子は、さながら平安時代の貴族が嗜む和歌のようだとも感じますが、それが同時多発的に広がっていくスピードとスケール感に圧倒されます。
意味がその場で構築される
ライブ感、共同作業
『卍が流行った時に、私意味分かんないけど、使ってたんですよ。とりあえず、意味は分からないけど、話している中で意味を見出していく。こういうのじゃないかなみたいな。』
『卍を使うとその人と仲良くなれる気がしていて。距離感をつめるための言葉。』
『(新語や造語は)自分で意味をつくれる言葉でもあるし、相手と共有することで意味が生まれるから、そこから仲良くなれるのかな。』
『普通会話って、意味が決まっている言葉を相手に直接渡す感覚。卍とかは、その場で新しく意味が構築されていく感じがする。共同作業というか。そこの2人の関係性にしかない卍のオリジナリティが出て来るというところが、他の言葉とは違う魅力があるのかなって。』
「卍」や「エモい」などの意味が曖昧な流行語から、身内の中だけでしか通用しない新語・造語まで、意味を一緒に創り上げていく感覚は、同じコミュニティーに所属しているという仲間意識を高めて、相手との関係を深めることにつながるという声がありました。
SNSなどを通してバックグラウンドや価値観が全く異なる他者と出会う可能性にひらかれた世界を生きる若者たちは、ごく自然に自分とノリが合う相手かどうかを見極めているようにも思えます。その際の判断材料のひとつとして、相手と意味を共有できるもの=共通言語の存在が重要になってくるのかもしれません。
ノリを合わせるための共通言語
『共通言語を持つというのはすごく大事なのかなって思います。
音楽とか、映画とか、本とか、アベマ恋愛リアリティーショーとか。今は、コンテンツがすごくたくさんあって、分断されているからこそ、その中のコミュニティーは強固になってる気がして。僕だったら、「カネコアヤノ」聴いてないの?とか言っちゃうみたいな。カネコアヤノを聴いてる人と聴いてない人で分けちゃうみたいな。それが全てじゃないんですけど。そこらへんのマスの分断とコミュニティーの強化みたいなのはあるかもしれないです。』
『言葉や絵文字で「この使い方をする人はちょっと無理」みたいなことをしちゃっている気がします。使い方によって、この人はこういう人なんだって、レッテルが貼られることで一旦シャットダウンが起きちゃうと、うまく話せなくなっちゃうというか、話しづらくなっちゃう。言葉の共通認識を持てない人は同じコミュニティーの人間として見れなくなっちゃいます。』
自分と相手がノリを共有できるかを判断する「共通言語」には、
音楽のプレイリスト、映画、本、動画サイトで見るコンテンツから、
LINEでの細かい言葉遣いや文体まで、
様々な例を当てはめることが出来そうです。
仲間と繋がる上で重要な役割を果たす一方で、コミュニティーの内と外を線引きする機能を担っているようにも思える共通言語。それぞれがばらばらのコミュニティーに分断されていくことへの閉塞感や不満などはないのでしょうか?
『私は不自由って感じはなくて、共通言語があることで必要以上に説明しなくても通じ合えて、どんどんスピードにのっていくみたいなことはすごくいいなと思いました。また、別の共通言語のコミュニティーを広げていくこともできるので、それはポジティブだと捉えています』
小さく閉じながら、
並列に広がっていく
コミュニティー
さらに話を掘り下げていくと、若者たちは、様々な共通言語ごとに複数のコミュニティーを持っていて、その間を自由に行き来している姿が見えてきました。
『僕、instagramのアカウントが5つあるんですよ。1つが普通の人向けのアカウントで、趣味アカウントがもう一つ、外に出す用のアカウントがもう一つ、高校まで仲いい人との縮小アカウント、大学で仲いい人との縮小アカウントみたいにあって。で、twitterのアカウントが3つくらいあるんですけど、instagramの縮小アカウントとtwitterの縮小アカウントって被ってる人もいるんですけど、被ってない人もいて、このアカウントはそれぞれがひとつのコミュニティーなのかなと思います。』
『twitterのオタ垢の私と、LINEの通常モードの私って使ってる言葉とかも全然違うと思っていて、twitterだとめっちゃ「w」を使うんですけど、instagaramだと絶対使わないし、そういう風に、それぞれのコミュニティーとか、求められる像によって自分を変えているので、その中で自分の言葉とかキャラを変えていると思います。』
前編は一旦ここまで。
後編では、複数のコミュニティーのなかで複数の人格を持つように
なっている若者たちの「言葉とアイデンティティ」というテーマを中心に
語っていきます。
Prototyping
the Future
様々な有識者との議論を通じて、
NTTが未来の人間らしさや社会像について考えていく。
Deep Dive into "Natural"
#2 ナチュラルと人間らしさ
ナチュラルな生き方
とは。ナチュラルな
社会とは。
Deep Dive into "Natural"
#1 データサイエンスとウェルビーイング
データサイエンスと
ウェルビーイングで
ナチュラルな社会へ
ウェルビーイングとデータサイエンスに関する研究と実践を重ねる第一人者のお二人が、2つのテーマを応用して実現するナチュラルな社会について、縦横無尽に語り合いました。
Decoding the Humanity
#1 仕事と健康
ウェルビーイングな
未来を目指して
今回はNTTコミュニケーション科学基礎研究所・上席特別研究員の渡邊淳司をゲストに迎え、「未来の働き方と健康」を探っていく。
Deep Dive into "Natural"
#0 NATURAL SOCIETY LAB始動
新しい技術には、
新しい哲学が
必要だ。
哲学、健康・医学、歴史、コミュニケーション科学の専門家が集まり、「未来のプロトタイピング」となるようなディスカッションを行いました。
Prototyping
the Future
様々な有識者との議論を通じて、
NTTが未来の人間らしさや社会像について考えていく。
Roundtable
with Gen Z
未来を生きる主役である若者たちとともに、
「これからの人間らしさ」を考える鍵となるキーワードについて語り合う
Event
Archives
他社企業やパートナーと「これからの人間らしさ」を考えるイベントを開催。次の未来や社会像へのキーワードときっかけを探ります。
Self-as-Weという言葉は、あまり聞き慣れないかもしれませんが、NATURAL SOCIETY LABとこのディスカッションにとってとても大切な概念ですので、はじめにかんたんにご説明させていただきます。Self-as-We、日本語では
「われわれとしての自己」と表現します。
一般的に、自己とは、個人(Individual)、すなわちそれ以上細分化できない存在としての「私」のことを指すというのが従来の認識ではないでしょうか。
ところが、Self-as-Weの自己観は、それとは異なる考え方をします。
「わたし」も「わたし以外」も含まれるつながりや関係性全体を指す「われわれ」こそが自己である、というのがSelf-as-Weの自己観です。
具体的な例で考えてみましょう。
「自転車に乗って通勤する」という行為を想定した場合、従来の自己観では、私が、道具である自転車を使いこなして移動すると考えます。
ところが、Self-as-We、「われわれとしての自己」では、「わたし」や自転車、道路、それを管理してくれている人たち、交通ルール…等々、出勤という行為を支える
すべての人・モノ・コトを含むシステムを「われわれ」=自己と捉えます。
そして、「わたし」を含む「われわれ」のすべての要素は、「われわれとしての自己」から行為の一部を委ねられている(この場合、「わたし」は、サドルに腰かけ、ハンドルを握り、足を交互に動かして自転車を前進させる…ということを委ねられている)と考えます。
チームスポーツを例に考えると、もっとわかりやすいかもしれません。チームという「われわれとしての自己」に委ねられて「わたし」はプレイをしています。
「わたし」が得点をあげた場合、それは「わたし」の活躍であると同時に「われわれとしての自己」=チームの活躍でもある。
こうした感覚は多くの方にとって比較的なじみ深いものではないでしょうか。この考え方を広げて、「わたし」の所属するチームだけでなく相手チームも審判も観客も、コートやゴールなどのモノも、ルールも、ゲームを支えるすべての人・モノ・コトを含むシステムを「われわれ」=自己と考える。そのときに、「わたし」と「われわれ」のよりよいあり方とはどういう状態か。
「われわれとしての自己」という、たくさんの行為主体(エージェント)が含まれるシステムのなかに、AIやデジタルツイン、ロボットなど、新たなエージェントが参加してきたときに、
「われわれ」のあり方はどう変わるのか。
そうしたことを議論し、よりよい未来社会のための技術を構想しようというのが、このラボとディスカッションの目的です。
※Self-as-Weに関する京都大学とNTTの共同研究に関するリリースはこちらをご覧ください。
そもそも「ナチュラル」とはなにか。また、私たちの生き方や社会をどう変えていくのか。技術と哲学のあいだで「ナチュラルと人間らしさ」に関する考えを深めます。