前編の議論はこちら
10人の若者たちが望む
「言葉の未来」に関する議論。
前編では、オンライン上や多数の
なかで、テンポの良さや
イメージ
の伝達を重視して使われる
「速い言葉」の進化を
望む一方で、
そこからこぼれ落ちてしまう、
自分自身や
一対一の対話に適した「遅い言葉」も大事にしたいという
望みが見えてきました。
後半は、そんな二つの言葉の間に
位置するような「自分たちの言葉」
が持つ可能性についての
議論を
軸に進んでいきます。
2.繋がるための
共通言語が欲しい
「ゆるさ」が許される
環境に心地良さを
感じる
『友達との関係でも共通言語は本当に大事です。意識をしてつくっているってわけじゃなくて、会話の中で偶然生まれる言葉みたいな。この前仲のいいグループで旅行に行った時に、私のサブ垢のストーリーに意味分からない言葉が残っていて、「これなんだっけ?」って聞いても誰も覚えていないんですよ。確かにその場ではその言葉をみんなで使っていたはずなのに。おそらく意味のない言葉で、その場で偶発的に生まれて、その場で消えていった言葉ではあるんですけど。後々から見返して、当時の会話に戻れるのは面白いですね。』
第一回に盛り上がった「共通言語」の話題では、
今回も様々な議論が交わされました。
『エモいとか、卍とか、しっかりとした意義がない言葉って、その場で少しづつ意味が形成されていくような共同作業感、ライブ感が面白いんじゃないかって話がありましたけど、
意味が定まってないというところに価値があると思うんです。後に残るかどうかより、意味をつくっていく過程が重要なのかなって。』
『共通言語』ってその場その場で生まれていくものだとしたら、意味が定義され過ぎてないゆるさがある気がして、そのゆるさが許されている環境に心地良さを感じているのかなって。適当な言葉であることが重要なんだと思いました。』
意味や定義が曖昧な流行語や仲間内で生まれる新語や造語は、若者たちにとって、関係を深めるための重要なツール。こうした共通言語は、小さなコミュニティーの中の方言のようなものと言えそうです。若者たちが、こうした自分たちで意味をつくっていく余白のある言葉を求めるのは、あらゆるところに言葉があふれていてラベルが貼られ、間違いのない情報伝達が求められる日常に窮屈さを感じているからなのかもしれません。
共通言語×
リアルな場で
生まれる
運命の出会い
「共通言語」をテーマにしたアイディアで人気があったのは、同じ言葉を使う人がどこにいるのかが可視化され、「共通言語」を通して人と出会うことが出来るコトバマップです。
その人が日常でよく使う単語や言い回し、そうしたものをデータとして蓄積しながら、同様の傾向がある人を「共通言語」の持ち主とする。その「共通言語」と地図を組み合わせることで、実際に現地に足を運んで人に出会えるという点に共感の声が集まっていました。
『オンラインだけじゃなくてその場に行ってというのがポイントだと思っていて。共通言語が1つ同じだったとしたら、そこで分かり合える人ってそれだけじゃないというか。その場を味わって、そこにいる人たちの共通言語を知っていく中で、「この人だ!」って人に出会えるのかなって。』
『共通言語を同じくする人と出会うってオンラインでも簡単じゃなくて。Twitterとかマッチングアプリとかもあんま機能してなくて、会えたとしても望んでいたかたちとは違うなって。そう考えると共通言語が同じな人が集まっている場所が見つかるのっていいなって。』
『共通言語は同じだけど、日常の社会的文脈から切り離されてる出会いという点もいいですね。自分の中にイレギュラーを持ち込むような感覚。そこから、新しい自分に繋がっていくかもしれない。』
オンラインではなく、対面で出会うことの意味はどこにあるのでしょうか?
『オンラインって一側面しか切り取れないじゃないですか。対面で会うと、想像以上のものをそいつは持っているかもしれない。共通言語はその人の一側面だけど、実際に会ったら、そこには膨大な情報があるから、その中でさらに関係が豊かになっていく。ある意味の運命の出会いをつくる運命製造機だと思うんですよ。』
オンラインが中心の生活の中で、その場その場に合わせた
人格(分人)としての立ち回りを行う若者は、どこかで包括的な
一個人として他人と出会うことを求めているのではないか?
そう考えることも出来そうです。
ビッグデータの収集と解析の方法が進化していくこれからの時代を
考えると、言葉というデータを人や空間や時間と紐付けることで
見えることや生まれる価値は他にもありそうで、色々な可能性を
考えてみたくなるアイディアでもありました。
3. 言葉で思い出を
共有したい
写真や動画では
残せない
心のうちを分かち合う
『SNSに投稿する写真って、第三者目線が入ることで、出来事の本質よりも美しさが重視されてしまうところがある気がして。本来残したかったはずの出来事が、言葉にしなかったことで忘れられてしまうのって、なんとなくもったいないなって。』
『写真や動画ってほんの一瞬じゃないですか。でも、その前後が大事だったりして。僕が自分の撮った写真を見る時は、その前後の時間、前後の体験を思い出して、それがあの時良かったなって価値に繋がっていくんです。言葉にしたら、写真では切り取れなかった前後の部分まで包含出来るのかなって。』
写真は大切な瞬間を記録することのできる画期的な発明ですが、写真や動画を撮ることが日常の中にこれほどまでに浸透したからこそ、「写真や動画に残せないものはなかったことになってしまう」というような感覚にはハッとさせられました。そこで「言葉」をもっとうまく活用したら、大切な思い出を残して、仲間と共有することが出来るかもしれない。そんな思いが込められたアイディア「思い出記録地図」からも議論が広がりました。
「思い出記録地図」は、覚えておきたいと思った出来事があった時に写真を撮るのではなく、後にそれを思い出せるような3つの単語を記録するというもの。位置情報と紐づけることでその出来事が起こった場所がわかり、一緒にいたメンバーともそれが共有されるというような特徴があります。
低頻度×
遠距離
コミュニケーション
の
時代の関係性
特に若者たちの注目が集まったのは、思い出を仲間たちと共有するという視点
『楽しかったことをちゃんともう一回話し合える。思い返してその場で話のタネに出来るっていいなって思いました。最近、対面で会うこと自体が減ったのもあって、期間が空いちゃうと、どっから距離縮めようみたいな。相手との関係性の土台が、前あった時と同じ状態か分からないから、そこを探るためにとりあえずこれ話しておけばいいみたいな同じ話をみんなしてしまう。』
『オンラインってそんなに同じ人と何回も会わないじゃないですか。高校のクラスとかは、週5日間顔を合わせると思うんですけど、そもそも大学生ってサークルも授業も同じ人とそんなに会わない。それがコロナになって余計に人と会わなくなった。一回話して結構仲良くなっても、間が空くから次に会った時もなんか、この子と前のテンションで大丈夫なのかなって手探りになるんですよね。』
コロナ禍でコミュニケーションの頻度が低く、距離が遠くなりがちな日常の中では、久々に会う人はほぼ初対面のような感覚で、毎回探り合いから会話がはじまることも多いようです。そんな環境の中で、以前会った時の出来事や、場の空気感を残して共有することは、相手との関係性の土台をつくる上で重要な役割を果たすのかもしれません。
4. 言葉の力で、
なりたい自分に近づきたい
自分を更新していく
言葉を求めて
『人から聞いた言葉に刺激を受けることが多いです。自分にはない視点や新しい言葉は、自分とは全く違うジャンルにいる人からお話を聞いた時に得られることが多いので、そう言う人の言葉を得たいと思います。ボキャブラリーが増えることで、自分の言葉で相手にインパクトを残すことが出来るのかなって。』
『独自の言葉を持った人と話したり、そういう人の読み物にふれると得られるものがあるなって。こう表現したらもっと印象に残るのかって。例えば「面白い」ってことを伝える時に、ただ面白いというのではなくて、面白さを表す独特の言葉を持っている人っていると思うんですよ。そういう人に面白さが伝わる言葉を学びたいなと思います。』
『自分らしさをしっくりくるかたちで伝えるための余白のない言葉と、自分たちらしさを 確認することが出来る余白のある言葉、両方使いこなせたらいいなって思います。』
改めて、若者たちはこれからの未来にどんな言葉を求めてるのでしょうか?
問いかけから見えて来たのは、「こんな自分になりたい」という思いでした。
なりたい自分像から逆算し、語彙や言葉遣いを提案してくれるというアイディア「コトバスタイリスト」はそんな思いを持った若者たちから共感を集めていました。
『心の豊かさとか、人の豊かさって言葉にあらわれるなって思うから、「ここであなたが自分を表現するために適切な言葉ってこういうのじゃない?」って提案ベースで話してくれるっていいなって思いました。』『自分の中の色々な人格(分人)も成長するから、このコミュニティーではこういう言葉でいたいということも変化していくと思う。だから、どんどん新しい情報が欲しい。言葉の豊かさを自分の中に取り入れて、自分を更新していきたい』
自分にフィットした言葉をちょっとづつ取り入れることで、自分をアップデートしていく。
そんな試行錯誤の先に、なりたい自分がかたちづくられていくのかもしれません。
若者たちが語る「言葉」には、希望ある未来への予感がつまっていました。
未来を生きる主役である
10人の大学生とともに、
「これからの人間らしさ」を考える
鍵となるキーワードについて語り合う
Roundtable with Gen Z Vol.2「言葉」の未来
若者たちが持ち寄った望みと
アイディア、それをもとにした議論からは、
言葉の不自由さや伝わらないもどかしさはありながらも、
言葉こそが
「私」をつくり、「私たち」のつながりをつくるものだという、
普遍的ともいえる言葉の力への確信が感じられました。
同時に強く印象づけられたのは、オンラインコミュニケーションの
増加やツールの変化といった影響を受け、私たちの言葉は刻々と
ダイナミックに変化しているという事実。
言葉の持つ大きな力と
可能性を自覚しながら、今後ますます加速する
テクノロジー進化を
活用するならば、世界が直面する困難な課題を解決し、
気持ち良い未来をつくっていくこともできそうです。
Prototyping
the Future
様々な有識者との議論を通じて、
NTTが未来の人間らしさや社会像について考えていく。
Deep Dive into "Natural"
#2 ナチュラルと人間らしさ
ナチュラルな生き方
とは。ナチュラルな
社会とは。
Deep Dive into "Natural"
#1 データサイエンスとウェルビーイング
データサイエンスと
ウェルビーイングで
ナチュラルな社会へ
ウェルビーイングとデータサイエンスに関する研究と実践を重ねる第一人者のお二人が、2つのテーマを応用して実現するナチュラルな社会について、縦横無尽に語り合いました。
Decoding the Humanity
#1 仕事と健康
ウェルビーイングな
未来を目指して
今回はNTTコミュニケーション科学基礎研究所・上席特別研究員の渡邊淳司をゲストに迎え、「未来の働き方と健康」を探っていく。
Deep Dive into "Natural"
#0 NATURAL SOCIETY LAB始動
新しい技術には、
新しい哲学が
必要だ。
哲学、健康・医学、歴史、コミュニケーション科学の専門家が集まり、「未来のプロトタイピング」となるようなディスカッションを行いました。
Prototyping
the Future
様々な有識者との議論を通じて、
NTTが未来の人間らしさや社会像について考えていく。
Roundtable
with Gen Z
未来を生きる主役である若者たちとともに、
「これからの人間らしさ」を考える鍵となるキーワードについて語り合う
Event
Archives
他社企業やパートナーと「これからの人間らしさ」を考えるイベントを開催。次の未来や社会像へのキーワードときっかけを探ります。
Self-as-Weという言葉は、あまり聞き慣れないかもしれませんが、NATURAL SOCIETY LABとこのディスカッションにとってとても大切な概念ですので、はじめにかんたんにご説明させていただきます。Self-as-We、日本語では
「われわれとしての自己」と表現します。
一般的に、自己とは、個人(Individual)、すなわちそれ以上細分化できない存在としての「私」のことを指すというのが従来の認識ではないでしょうか。
ところが、Self-as-Weの自己観は、それとは異なる考え方をします。
「わたし」も「わたし以外」も含まれるつながりや関係性全体を指す「われわれ」こそが自己である、というのがSelf-as-Weの自己観です。
具体的な例で考えてみましょう。
「自転車に乗って通勤する」という行為を想定した場合、従来の自己観では、私が、道具である自転車を使いこなして移動すると考えます。
ところが、Self-as-We、「われわれとしての自己」では、「わたし」や自転車、道路、それを管理してくれている人たち、交通ルール…等々、出勤という行為を支える
すべての人・モノ・コトを含むシステムを「われわれ」=自己と捉えます。
そして、「わたし」を含む「われわれ」のすべての要素は、「われわれとしての自己」から行為の一部を委ねられている(この場合、「わたし」は、サドルに腰かけ、ハンドルを握り、足を交互に動かして自転車を前進させる…ということを委ねられている)と考えます。
チームスポーツを例に考えると、もっとわかりやすいかもしれません。チームという「われわれとしての自己」に委ねられて「わたし」はプレイをしています。
「わたし」が得点をあげた場合、それは「わたし」の活躍であると同時に「われわれとしての自己」=チームの活躍でもある。
こうした感覚は多くの方にとって比較的なじみ深いものではないでしょうか。この考え方を広げて、「わたし」の所属するチームだけでなく相手チームも審判も観客も、コートやゴールなどのモノも、ルールも、ゲームを支えるすべての人・モノ・コトを含むシステムを「われわれ」=自己と考える。そのときに、「わたし」と「われわれ」のよりよいあり方とはどういう状態か。
「われわれとしての自己」という、たくさんの行為主体(エージェント)が含まれるシステムのなかに、AIやデジタルツイン、ロボットなど、新たなエージェントが参加してきたときに、
「われわれ」のあり方はどう変わるのか。
そうしたことを議論し、よりよい未来社会のための技術を構想しようというのが、このラボとディスカッションの目的です。
※Self-as-Weに関する京都大学とNTTの共同研究に関するリリースはこちらをご覧ください。
そもそも「ナチュラル」とはなにか。また、私たちの生き方や社会をどう変えていくのか。技術と哲学のあいだで「ナチュラルと人間らしさ」に関する考えを深めます。