10人の若者たちが望む
「身体の今」に関する議論。
前編では、「身体は変えられる」
という手応えを感じながら、
「自分には自分の良さがある」と
認めた上で、ポジティブな努力を
重ねる若者の暮らしが見えて
きました。
後編では、若者たちを
とりまく社会の変化を踏まえて、
若者の身体に対する態度や
スタンスをさらに掘り下げて
いきたいと思います。
2. 身体に対してオープンで
あること
身体の話題は、
これまでになく
オープンに語られる
時代に
YouTubeやTikTokの普及によって、以前なら公に語られることの少なかった男女ならではの身体の現象や、性に関するエピソードなど、身体の話題にふれる機会が多くなったと感じます。身体に関してNGなトピックがどんどんなくなっていく感覚。自分のコンプレックスをSNSで積極的に発信する人もいます。
SNSの普及によって、プライベートな自宅の空間同士がダイレクトに繋がっている気がします。YouTubeやTikTokの配信は、プライベートな空間からパブリックに情報が発信されているというより、プライベートな空間同士で濃密な情報のやり取りをしている感覚がある。
これまでテレビや学校や職場など公の場では、タブー視されることも多かった身体の話題ですが、ひとたびYouTubeやTikTokのタイムラインに目を向けると、身体のコンプレックスについて赤裸々に語るインフルエンサーや性事情について明るく話すカップルユーチューバーなど、様々な声にふれることが出来ます。そんな現代に生きる若者たちにとって、身体に関する話題は、特別に気を使うものではなく、フラットに語り合うものになってきているのかもしれません。
また、YouTubeやTikTokでは、配信者の自宅というプライベート空間から、内輪の空気を保ったまま発信が出来てしまうため、オープンに語る上でのNGなトピックの線引きがどんどん曖昧になっていると言えそうです。
そうしたなんでもオープンに語る風潮に対しては、「風通しの良さを感じる」という人がいる一方で、みさかいなくなんでもさらけ出す姿勢や、身体の話題が注目を集めるためのコンテンツにされている現状については戸惑いや違和感を覚えるという声もありました。
性についてあけっぴろげに語られているのを見ると、ぼくは正直恥ずかしいと思ってしまいます。
性に対してオープンになった一方で、性が安売りされているように感じることもある。
また、今回のRoundtableの中で印象的だったのは、自分の容姿への自信を正直に公言する若者の存在でした。実際、『ぼくは、自分のことイケメンだと思っているので。』という発言や、『私、正直かわいい方だと思うので。』などのように、自分の容姿を自分で語る若者がいました。
「俺、イケメンなんで」みたいなマインドを持ってる人は結構いると思います。
容姿への自信を公言することは、一見自意識過剰な印象を受けるかもしれませんが、そこにあるのは単純なナルシシズムではなく、むしろ自分自身の身体を正直にまなざして、オープンに・フラットに評価するという潔くしなやかな強さです。自信もコンプレックスも含めて自分の身体を認めて、それをオープンにすることが出来る人は、若者たちの間でも突き抜けた存在として一目を置かれているようでした。
身体にまつわる
話題を
共有し
互いに高め合う
以前は褒められても「何もしてないよ」と言っていたけど、最近は、「ありがとう。実はこれをやっていて~」とメイクやダイエットの方法を共有し合うことが多くなった気がします。変化の感動を一緒に共有して、みんなでかわいくなりたいという思いが強いです。
「今日のそれ、すごくいいね。」みたいに、会話の取っ掛かりとしてよく相手を褒めてます。自分が言われた時も嬉しいから、相手もそんな感覚で受け取ってくれたらいいなって。
さらに身体について語る若者の姿を追う中で見えてきたのは、
情報を共有したり、ほめ合ったりする中で、お互いを高め合うという
コミュニケーションのあり方です。
「ほめる、自己肯定感が高まる、技術を共有する」というサイクルが
生まれることによって、お互いがどんどん高められていく。
そこには、「最近見た映画の感想を共有するような感覚」で、カジュアルに
身体について語り合う若者の姿がありました。
中高生の頃までは、他人に真似されたくないと思ってギスギスしていたけど、大学生になって心の余裕が出来たら、情報を共有し合うようになりました。
今は積極的にメイクやスキンケアなどの情報を共有し合っているという若者たちに話を聞いていくと、中高生の頃は、お互いを牽制し合っていたという声が多く語られました。
中高生から大学生になる過程で、かわいい、かっこいいの基準が多様になって、個人間の競争の要素が弱まることで、惜しみなく相手を肯定して情報を提供し合えるようになったと考えることが出来そうです。
3.確かな自分を立ち上げる技法
タイプ診断は
占いのようなもの
骨格診断やパーソナルカラー診断って占いっぽいなと思いました。何を言われても鵜呑みする必要はなくて、捉え方は自分次第だから。
身体のタイプ診断って、これは良くてこれは悪いみたいな上下がなくて、それぞれの良さに注目させてくれる優しい言葉遣いだから受け入れられやすいのかな。
この数年間でブームとなって若者たちの間ではすっかり定番になった、パーソナルカラー診断や骨格診断などのタイプ診断は、若者と身体の間にどんな影響を及ぼしているのでしょうか?目立っていたのは、肯定的に捉えている声でした。
その中で、特に共感を集めていたのは「診断は占いのようなもの」という意見。診断の結果に過度に縛られることなく、自分のスタイルを考える際の参考として適度に活用しているという人が多いようです。
診断を受けた若者たちの間では、その上で、自分に似合う服を着たい派と、自分が好きな服を着たい派に意見が分かれていました。どちらを優先することが自分にとって心地良いと思うのか、価値観は人それぞれですが、話を掘り下げていくと、自分の好きなスタイルを明確に持っている若者は意外と少ないのかもしれないという現状が見えてきました。
わたしに
「似合う」ものと、
わたしが
「好きな」ものの間で
自分の好きにそこまで自信がないんです。 たぶんこれ好きだろうなと思って買って、後々それが間違ってなかったということを繰り返していくなかでだんだん好きになっていく気がします。
自分が好きなものを好きって言えたらいいなって思うけど、それってすごくカロリーがいる。自由でいたいと思いつつ、誰かに断定されたいって思いもある。2つの矛盾した気持ちがある気がする。
うつくしさの基準が多様になって選択肢にあふれているように思える時代
だからこそ、その中から自分らしさを選び取っていかなければならない大変さがあると言えるのかもしれません。
客観的な評価に基づいて「似合う」ものを選ぶよりも、自分の主観を押し通して「好きな」ものを選ぶことはある意味勇気がいることです。「自分の好きに自信がない」という若者にとっては、診断から導き出される「似合う」ものが、自分らしさをつくっていく上での手がかりになることもあると言えそうです。
自分を立ち上げる
ための
「諦め」の技法
占いって自分にとっていいところだけ取り入れるみたいなところがあると思うんですけど、そんな感覚でタイプ診断を受けることで、自分のいいところが強化されて、苦手意識があったところに保険がかけられると思いました。
タイプ診断って、好きなものが似合ってなかった時の自分への言い訳に使えると思うんですよ。私、このタイプだから仕方ないかって。
一見選択肢や可能性にあふれているように思える今は、時に「何者にでもなれるかもしれない」と錯覚することで、自分を見失ってしまう危険性がある時代と言えるかもしれません。
そんな時代の中で、今を生きる若者たちは他人にはなれないことを
諦めつつも、そこから見えてくる自分らしさを認め肯定するための
「自分の領域をうまく区切る」技法として、タイプ診断を活用しているのかも
しれません。
未来を生きる主役である10人の大学生とともに、
「これからの人間らしさ」を考える鍵となるキーワードについて語り合う
Roundtable with Gen Z Vol.3「身体」の今
そこから見えてきたのは、身体に関する情報や技術が大量に
共有される中で、「身体は変えられる」という認識をもち、
ポジティブな努力で自分のなりたい身体を目指していく若者の姿でした。
また、あっけらかんと性に関する話題を語ったり、
自分の容姿のコンプレックスも自信もオープンに語ったりする姿、
タイプ診断のような一種の断定を織り重ねながら自分らしさを
組み立てていく姿には、現代の若者と身体の象徴的な関係が
感じられました。次回、第4回では、今回の議論を受けて、
若者たちが望む未来の身体について考えます。
Prototyping
the Future
様々な有識者との議論を通じて、
NTTが未来の人間らしさや社会像について考えていく。
Deep Dive into "Natural"
#2 ナチュラルと人間らしさ
ナチュラルな生き方
とは。ナチュラルな
社会とは。
Deep Dive into "Natural"
#1 データサイエンスとウェルビーイング
データサイエンスと
ウェルビーイングで
ナチュラルな社会へ
ウェルビーイングとデータサイエンスに関する研究と実践を重ねる第一人者のお二人が、2つのテーマを応用して実現するナチュラルな社会について、縦横無尽に語り合いました。
Decoding the Humanity
#1 仕事と健康
ウェルビーイングな
未来を目指して
今回はNTTコミュニケーション科学基礎研究所・上席特別研究員の渡邊淳司をゲストに迎え、「未来の働き方と健康」を探っていく。
Deep Dive into "Natural"
#0 NATURAL SOCIETY LAB始動
新しい技術には、
新しい哲学が
必要だ。
哲学、健康・医学、歴史、コミュニケーション科学の専門家が集まり、「未来のプロトタイピング」となるようなディスカッションを行いました。
Prototyping
the Future
様々な有識者との議論を通じて、
NTTが未来の人間らしさや社会像について考えていく。
Roundtable
with Gen Z
未来を生きる主役である若者たちとともに、
「これからの人間らしさ」を考える鍵となるキーワードについて語り合う
Event
Archives
他社企業やパートナーと「これからの人間らしさ」を考えるイベントを開催。次の未来や社会像へのキーワードときっかけを探ります。
Self-as-Weという言葉は、あまり聞き慣れないかもしれませんが、NATURAL SOCIETY LABとこのディスカッションにとってとても大切な概念ですので、はじめにかんたんにご説明させていただきます。Self-as-We、日本語では
「われわれとしての自己」と表現します。
一般的に、自己とは、個人(Individual)、すなわちそれ以上細分化できない存在としての「私」のことを指すというのが従来の認識ではないでしょうか。
ところが、Self-as-Weの自己観は、それとは異なる考え方をします。
「わたし」も「わたし以外」も含まれるつながりや関係性全体を指す「われわれ」こそが自己である、というのがSelf-as-Weの自己観です。
具体的な例で考えてみましょう。
「自転車に乗って通勤する」という行為を想定した場合、従来の自己観では、私が、道具である自転車を使いこなして移動すると考えます。
ところが、Self-as-We、「われわれとしての自己」では、「わたし」や自転車、道路、それを管理してくれている人たち、交通ルール…等々、出勤という行為を支える
すべての人・モノ・コトを含むシステムを「われわれ」=自己と捉えます。
そして、「わたし」を含む「われわれ」のすべての要素は、「われわれとしての自己」から行為の一部を委ねられている(この場合、「わたし」は、サドルに腰かけ、ハンドルを握り、足を交互に動かして自転車を前進させる…ということを委ねられている)と考えます。
チームスポーツを例に考えると、もっとわかりやすいかもしれません。チームという「われわれとしての自己」に委ねられて「わたし」はプレイをしています。
「わたし」が得点をあげた場合、それは「わたし」の活躍であると同時に「われわれとしての自己」=チームの活躍でもある。
こうした感覚は多くの方にとって比較的なじみ深いものではないでしょうか。この考え方を広げて、「わたし」の所属するチームだけでなく相手チームも審判も観客も、コートやゴールなどのモノも、ルールも、ゲームを支えるすべての人・モノ・コトを含むシステムを「われわれ」=自己と考える。そのときに、「わたし」と「われわれ」のよりよいあり方とはどういう状態か。
「われわれとしての自己」という、たくさんの行為主体(エージェント)が含まれるシステムのなかに、AIやデジタルツイン、ロボットなど、新たなエージェントが参加してきたときに、
「われわれ」のあり方はどう変わるのか。
そうしたことを議論し、よりよい未来社会のための技術を構想しようというのが、このラボとディスカッションの目的です。
※Self-as-Weに関する京都大学とNTTの共同研究に関するリリースはこちらをご覧ください。
そもそも「ナチュラル」とはなにか。また、私たちの生き方や社会をどう変えていくのか。技術と哲学のあいだで「ナチュラルと人間らしさ」に関する考えを深めます。