#1 言葉
10人の大学生とともに、「言葉」の今とこれからを考える
ワークショップを行いました。未来を生きる主役である
若者たちは、人間の暮らしや人間らしさの根幹とも言える
「言葉」を今どのように扱い、そこには未来に向けた
どんな想いや望み、葛藤や違和感を抱いているのでしょうか。
NSL 若者研究所 研究員
チホ
21歳。
自分をオノマトペで表すと
「きょろきょろ」
NSL 若者研究所 研究員
ケイスケ
20歳。
自分をオノマトペで表すと
「ふにゃふにゃ」
NSL 若者研究所 研究員
カズキ
20歳。
自分をオノマトペで表すと
「ごちゃごちゃ」
NSL 若者研究所 研究員
ヨウタ
22歳。
自分をオノマトペで表すと
「とうとう」
NSL 若者研究所 研究員
ジュンヤ
22歳。
自分をオノマトペで表すと
「ふわふわ」
NSL 若者研究所 研究員
ミヅキ
20歳。
自分をオノマトペで表すと
「ニヤニコ」
NSL 若者研究所 研究員
ワカバ
21歳。
自分をオノマトペで表すと
「ズカズカ」
NSL 若者研究所 研究員
リコ
22歳。
自分をオノマトペで表すと
「ころころ」
NSL 若者研究所 研究員
リリカ
23歳。
自分をオノマトペで表すと
「あっちこっち」
NSL 若者研究所 研究員
モエ
22歳。
自分をオノマトペで表すと
「じわじわ」
若者と考える
「言葉」
の今とは。
一人一人が幅広い視点で暮らしを振り返り、
若者と「言葉」の今に関する興味深い視点を
持ち寄ったうえで議論を行いました。
若者と考える
「言葉」の
未来・望み
とは。
「言葉の今」の議論を受け、若者たちが
「こうなって欲しい」と望む「言葉の未来」
に関する議論を辿ります。
Prototyping
the Future
様々な有識者との議論を通じて、
NTTが未来の人間らしさや社会像について考えていく。
Deep Dive into "Natural"
#2 ナチュラルと人間らしさ
ナチュラルな生き方
とは。ナチュラルな
社会とは。
Deep Dive into "Natural"
#1 データサイエンスとウェルビーイング
データサイエンスと
ウェルビーイングで
ナチュラルな社会へ
ウェルビーイングとデータサイエンスに関する研究と実践を重ねる第一人者のお二人が、2つのテーマを応用して実現するナチュラルな社会について、縦横無尽に語り合いました。
Decoding the Humanity
#1 仕事と健康
ウェルビーイングな
未来を目指して
今回はNTTコミュニケーション科学基礎研究所・上席特別研究員の渡邊淳司をゲストに迎え、「未来の働き方と健康」を探っていく。
Deep Dive into "Natural"
#0 NATURAL SOCIETY LAB始動
新しい技術には、
新しい哲学が
必要だ。
哲学、健康・医学、歴史、コミュニケーション科学の専門家が集まり、「未来のプロトタイピング」となるようなディスカッションを行いました。
Prototyping
the Future
様々な有識者との議論を通じて、
NTTが未来の人間らしさや社会像について考えていく。
Roundtable
with Gen Z
未来を生きる主役である若者たちとともに、
「これからの人間らしさ」を考える鍵となるキーワードについて語り合う
Event
Archives
他社企業やパートナーと「これからの人間らしさ」を考えるイベントを開催。次の未来や社会像へのキーワードときっかけを探ります。
Self-as-Weという言葉は、あまり聞き慣れないかもしれませんが、NATURAL SOCIETY LABとこのディスカッションにとってとても大切な概念ですので、はじめにかんたんにご説明させていただきます。Self-as-We、日本語では
「われわれとしての自己」と表現します。
一般的に、自己とは、個人(Individual)、すなわちそれ以上細分化できない存在としての「私」のことを指すというのが従来の認識ではないでしょうか。
ところが、Self-as-Weの自己観は、それとは異なる考え方をします。
「わたし」も「わたし以外」も含まれるつながりや関係性全体を指す「われわれ」こそが自己である、というのがSelf-as-Weの自己観です。
具体的な例で考えてみましょう。
「自転車に乗って通勤する」という行為を想定した場合、従来の自己観では、私が、道具である自転車を使いこなして移動すると考えます。
ところが、Self-as-We、「われわれとしての自己」では、「わたし」や自転車、道路、それを管理してくれている人たち、交通ルール…等々、出勤という行為を支える
すべての人・モノ・コトを含むシステムを「われわれ」=自己と捉えます。
そして、「わたし」を含む「われわれ」のすべての要素は、「われわれとしての自己」から行為の一部を委ねられている(この場合、「わたし」は、サドルに腰かけ、ハンドルを握り、足を交互に動かして自転車を前進させる…ということを委ねられている)と考えます。
チームスポーツを例に考えると、もっとわかりやすいかもしれません。チームという「われわれとしての自己」に委ねられて「わたし」はプレイをしています。
「わたし」が得点をあげた場合、それは「わたし」の活躍であると同時に「われわれとしての自己」=チームの活躍でもある。
こうした感覚は多くの方にとって比較的なじみ深いものではないでしょうか。この考え方を広げて、「わたし」の所属するチームだけでなく相手チームも審判も観客も、コートやゴールなどのモノも、ルールも、ゲームを支えるすべての人・モノ・コトを含むシステムを「われわれ」=自己と考える。そのときに、「わたし」と「われわれ」のよりよいあり方とはどういう状態か。
「われわれとしての自己」という、たくさんの行為主体(エージェント)が含まれるシステムのなかに、AIやデジタルツイン、ロボットなど、新たなエージェントが参加してきたときに、
「われわれ」のあり方はどう変わるのか。
そうしたことを議論し、よりよい未来社会のための技術を構想しようというのが、このラボとディスカッションの目的です。
※Self-as-Weに関する京都大学とNTTの共同研究に関するリリースはこちらをご覧ください。
そもそも「ナチュラル」とはなにか。また、私たちの生き方や社会をどう変えていくのか。技術と哲学のあいだで「ナチュラルと人間らしさ」に関する考えを深めます。