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水産業に新たな可能性を
もたらす「スマート陸上養殖」

NTT東日本 ビジネス開発本部

越智 鉄美

水産業が直面する危機と陸上養殖という解決策

日本を含め、世界の水産業は今、深刻な危機に直面しています。地球温暖化による海水温上昇や魚介類の世界的需要増加により、水産資源の枯渇とともに生産拡大余地のある漁場資源の割合はわずか7%程度にまで落ち込んでいます。

「世界的な人口増からくる需要増加と乱獲、温暖化による水温の上昇、マイクロプラスチックなど人的な原因による水質の悪化などが原因となり、水産業は持続可能性の観点から大きな危機に瀕しています。この課題解決に向け、水産資源を『獲る』から『作る』に変えていくこと。陸上養殖は天然水産資源の維持向上に寄与すると共に、需要と供給のマッチングに合わせてフードロスの削減にも貢献できる取り組みです」と語るのは、NTT東日本でスマート陸上養殖事業を統括する越智 鉄美さんです。越智さんは4年前、自らこのプロジェクトを立ち上げ、新しい水産業の形を模索しています。

前職はLEDの技術開発の研究者で、NTT東日本に転職し、このプロジェクトに参加した越智さんは、「新しい技術を使って日本初の技術で世界に発信できるビジネスを作りたい」という思いから、社会課題が大きく技術の伸びしろがある水産業に着目。魚類についての知識はゼロだったものの、多くの論文を読み込み、専門家を訪ね歩くことで知見を蓄積していったと言います。

従来の養殖とは異なる2つの革新的な特徴

「私たちが進めているプロジェクトは『完全閉鎖循環型陸上養殖』です。これは海や河川、湖などの自然環境に依存せず、陸上の施設内で水産物を生産する方法で、めざしているのは『どこでも、誰でも、どんな魚種でも』養殖できる環境。すでに実用化しているこの技術の事業採算性が整ってくれば、将来的にはサハラ砂漠の真ん中でマグロを養殖し、出荷することもできるはずです」(越智 鉄美、以下同)

このスマート陸上養殖には、従来の養殖とは異なる革新的な特徴が2つあります。1つ目は、水道水を利用して淡水魚・海水魚問わずにさまざまな魚種を効率的に養殖可能な人工海水飼育水を精製する点です。

「精製した人工海水は特殊なろ過技術を用いて循環し再利用するため、従来の掛け流し式の養殖とは異なり、排水による周辺環境への影響を低減します。水道水からの精製が可能なので水資源が潤沢ではない地域においても魚類の生産ができるのです」

加えて越智さんは、魚の成長にもプラスに働くと言います。

スマート陸上養殖で水揚げしたベニザケ

「海水の塩分濃度は約3.5%ですが、魚にとって最も過ごしやすい塩分濃度は約1%。天然の海水魚はエサから得たエネルギーの70%近くを体内の塩分濃度の調整のために使っています。私たちが精製する人工海水の塩分濃度は魚に最適な濃度に調整され、この環境下で育つ魚はエネルギーのほとんどを成長に回すことができます。その結果、生育が早く大型化しやすく、非常に高い成長率を実現できるのです」

2つ目は、ICTを活用したデータドリブンのアプローチです。飼育環境(水質・環境温湿度・プラント関連機器の稼働状況など)をデータで管理することで安定な生産環境を保持し、ITプラットフォームを用い、本部などから実際のプラントがある遠隔地へ「One to Many」で飼育指導を提供することができるのです。

スマート陸上養殖用の水槽

「従来の養殖は経験豊富な専門家の力と適した自然環境に頼る部分が大きかったのですが、『完全閉鎖循環型陸上養殖』の施設は、専門的な知識や経験がなくても安定した運用が可能です。私たちが開発したITプラットフォームは、魚が育つプラント環境のデータを自動取得し一元管理します」

実際、サステナビリティカンファレンスで紹介された「ベニザケ養殖プロジェクト」では、岡山理科大学とプラントがある福島県福島市をつなぎ、離れた場所からの指導で成功を収めました。2022年1月から福島市で始まった同プロジェクトは、地元のスーパーマーケット・いちいとの連携によるものです。東日本大震災以降の風評被害に苦しむ福島の水産業に新たな可能性を示す試みとなりました。

「プロジェクトの立ち上げ段階では、水産業のプロから『なぜ生育が難しいとされるベニザケを選んだのか』と懸念されたこともありました。それでもあえて高級魚であるベニザケに挑戦したのは、独自性のあるブランド品を作り地域活性化に貢献したいという想いからです」

この挑戦は見事に実を結び、世界で初めてビジネスベースでのベニザケ陸上養殖に成功。さらに次なる挑戦として、宮崎県・都農町(つのちょう)でのタマカイ(スズキ目ハタ科、の高級魚)の養殖も始めています。

「タマカイは国内ではほぼ水揚げされない希少な魚種で味が良い高級魚。そのため、ビジネスとしての採算性が見込めます。2024年に試験飼育が終わり、ふるさと納税の返礼品として全国に出荷を開始しました」

都農町との取り組みでは、ふるさと納税の返礼品に

養殖魚の高い安全性と環境への配慮、将来に向けた展望

サステナビリティの面でもスマート陸上養殖には大きな利点があります。それは、環境への負荷が少ないことと安全性の高さです。

「完全閉鎖循環型は基本的に排水を最小限に抑えるので、環境に非常に優しい仕組みです。また都市圏近くで生産することで輸送によるCO2排出量やフードマイレージも削減できます。さらに安全性についても、陸上養殖では水質を完全にコントロールできるため寄生虫などに侵されることはゼロ。成魚までのトレーサビリティも完全に確保できるという意味でも安心です」

しかし、陸上養殖の普及にはまだ乗り越えるべき課題があります。それはコスト削減と消費者の意識です。

「まず、トータルコストを下げていく必要があります。その中でも注力しているのが水処理技術の革新です。魚が排出するアンモニア態窒素を除去するために、現在は微生物を使ったろ過技術を使っていますが、ろ過効率を高めるため新しい技術の開発に取り組んでいます。

そして、陸上養殖された魚の需要を広げていくためには消費者の意識を変えていく働きかけも不可欠です。日本では『魚は天然ものが良い』という価値観が根強く養殖魚は価値を低く見られがちです。しかし、食肉については牛・豚・鶏...『ブランド牛』なども人工的に育てられたものに高い価値が置かれていますよね。今後は養殖魚の安全性やおいしさを発信し、消費者の魚についての意識を変えてもらうことが陸上養殖普及の鍵になってくると思います」

近い将来に向けた展望として、2030年頃には海外展開に踏み出したい、と越智さんは言います。

「日本は人口減少で食品需要も減少していきますが、海外では人口増加とそれに伴う魚のニーズが高まっています。諸外国の中には水資源が潤沢でない国も多く、システム・技術を仕組みとして輸出することで、国際的な人口増におけるたんぱく源の確保という重要な社会課題に貢献できると思います」

越智さんのSelf as We
チームの多様性を大切にする「村祭りの酒」の教え

越智さんはプロジェクト運営において「村祭りの酒」という寓話を大切にされています。このお話しは、村祭りのために村人みんなが持ち寄った「お酒」が、自分の利益を優先したため実は「水」であり、酒樽全体が水ばかりになってしまったというお話です。

これは、チーム全員が当事者意識を持って社会に貢献する重要性を説くものです。それが、プロジェクトを成功させる鍵だと越智さんは言います。

「新規事業は川を上流に向かって漕ぎ続けるようなもので、誰かが漕ぐのを止めた瞬間に、どんどん流され逆戻りしていくだけです。同じ目標のチームでも、それぞれの考え方や想い、モチベーションは異なります。自分だけでなく、チーム全体、そして関わるすべてのステークホルダーを『われわれ』として捉え、共通の目標に向かって進んでいく姿勢。世界初となるこの事業を通じて関わるメンバーには、新しい挑戦の楽しさと苦しさを知ってほしい。その先に、私たちの技術の力で社会課題を解決する世界があると思います。」